見出し画像

欲深き晩酌タイム

ある月曜日の夕方、娘の嗚咽おえつ混じりの泣き声が響き渡りました。

その泣き声は雷鳴の如く家中に響き渡り、空気を震わせ、そして大地を揺らしました。

娘はソファの上に立ったまま「たなかー!たなかー!」と泣き叫び、私たち夫婦はなすすべもなく、ただひたすらに時が過ぎゆくのを待つばかりでした。

ことの発端は私の不用意な発言にありました。

私は料理人だからと言いますか、料理人のくせにと言いますか、休みの日でも家族のためによく夕飯を作ります。

家族のためにと言うとすごく聞こえがいいのですが、そこには、自分が晩酌の時に食べるおつまみを充実させたいという、下心が隠されているのでした。

その日もいつものように私は台所に立ち、せっせと夕飯を作っていました。

しかし、ついつい自分好みの、お酒に合うようなおつまみばかりを作ってしまい、偏食の塊である6歳の娘が食べられオカズを作るのを、すっかり忘れてしまっていたのです。

このままでは娘の夕飯が白米だけになってしまいます。
その結果、私は妻に、「これはいったいどういうことなのか説明しなさい」と詰め寄られてしまうに違いありません。

私は焦りました。しかし、今さら焦ったところでどうにもならないことも分かっています。

そこで私は、ひとまず缶ビールをプシュっと開けて、それを飲みながらゆっくりと対処法を考えることにしました。

すると、アルコールの力を借りて活性化した私の脳みそが、ある妙案を思いついたのです。

それは、串カツをテイクアウトしようということでした。

なぜ串カツなのかと言いますと、以前妻が、串カツ田中の串カツを娘が美味しそうに食べていたと話していたのを、思い出したからです。

私は平静を装って言いました。

「串カツでもテイクアウトしようか」

すると、思惑通り娘がくらいつきました。

最近チアダンスを習いたいと言っている娘は、ボンボンを手に持ったチアガールさながら、「たっなっか!たっなっか!」とピョンピョン飛びまわり、喜びの舞を踊り始めました。

この時点で娘の脳みそと胃袋は、完全に田中に支配されていました。

あたしと田中、田中とあたし。
この世界はあたしと田中でできている。

そう言わんばかりの娘の表情を確認するなり、私は串カツを注文するために、スマートフォンで近所にある串カツ田中のページを開きました。

すると、私の目に飛び込んできたのは「しばらくの間、月曜定休とさせていただきます」という地獄への道標みちしるべでした。

万事休ばんじきゅうす……。

そんな私の気持ちとは裏腹に、娘は相変わらずチアガールのごとく腕をふりふり、足を蹴り上げ「フレフレたなか!フレフレたなか!」と田中の応援に勤しんでいました。

言えない。いまさら田中が休みだなんて、とても言えない。

私は二本目のビールをプシュっと開けると、深呼吸をしてから大きく一口飲み、焦る気持ちを落ち着かせました。

しょうがない、素直に謝ろう。
そして、いつもの焼き鳥屋さんでツクネでも買ってこよう。
娘だってもう小学生なのだ、ちゃんと説明すればきっと分かってくれるはず。

そういう結論に達した私は、意を決して娘に言いました。

「ごめん、今日、田中休みなんだって」

その刹那、とびっきりの笑顔で田中を応援していたはずの娘の顔が凍りつき、悲しみの色に染まりました。

食べたい、食べられない、食べたい、食べられない……でも食べたい。

娘は悲しみの感情に押し潰され、そして泣き出しました。

とめどなく溢れる涙。
搾り出される嗚咽。
家中に響き渡る田中コール。

私はかける言葉も見つからぬまま、妻に慰められている娘の姿を、ビール片手に見守り続けていました。

そしていよいよビールを飲み終わり、次はハイボールに取り掛かろうとウィスキーのキャップに手をかけたその瞬間、私の中にある疑問が浮かび上がりました。

それは、串カツを食べたかったのは娘ではなく、本当は自分だったのではないかというものでした。

娘のオカズを作り忘れたのをいいことに、晩酌タイムのさらなる向上を目論み、串カツまでをも手に入れようと欲をかいた自分が、そこにいたのではあるまいかと。

自問自答の末、そんなまさかとは思いながらも、あながち全てを否定しきれないでいる私は次第に自分が怖くなり、ウイスキーをストレートのまま喉の奥に滑り込ませるのでした。

いいなと思ったら応援しよう!