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イギリスと日本は似ているのか?:ドーバー海峡と対馬海峡の差


1. 梅棹の日英相同論とその限界

 梅棹忠夫は名著『文明の生態史観』において、ユーラシア大陸の両端に位置する日本とイギリスを、巨大な専制帝国(第一地域)の干渉を免れた「第二地域」として並置した。両国は大陸から適度な距離を保つことで、略奪的な破壊を免れ、封建制から資本主義へと自律的に進化する「遷移(サクセッション)」のプロセスを共有したという。
 しかし、この相同論が看過しているのは、両国を隔てる「海峡」の幅のかなりの差である。この差が、前近代のみならず、近代以降、そして現代における両国の「地域統合」への姿勢を決定的に分かつこととなったのかも知れない。

2. ドーバー海峡は「道」、対馬海峡は「壁」

 イギリスを大陸から分かつドーバー海峡は、最短わずか33kmの「道」に過ぎない。対岸の情勢は肉眼で可視化され、軍隊や思想、亡命者が日常的に往来する。イギリスの政治史は、常に大陸との緊張感と勢力均衡(バランス・オブ・パワー)の中にあり、王権の正当性もまた大陸的力学の変遷にさらされてきた。イギリスにとって「海」は防御壁であると同時に、常に大陸の一部として機能するためのインフラであった。
 対して、日本と大陸を隔てるのは、最短でも180km、平均して数百キロに及ぶ荒ぶる公海である。近代以前の航海技術において、この距離は単なる通路ではなく、物理的な「壁」であった。この絶望的な隔絶が、日本を「ほぼ閉鎖系」とさせ、外部の論理に侵食されることの少ない独自の権威構造を培養する「執行猶予」を与えたのである。

3. 東シナ海という「兵站の断絶」と権威の定着

 前近代の木造船と人力・風力による航海において、東シナ海を越えて大規模な軍事力を投射し、その「兵站(ロジスティクス)」を維持することは不可能に近かった。数万の兵を維持するための食糧や武器を、黒潮逆巻く公海経由で安定供給し続けることは、当時の輸送能力の限界を遥かに超えていたのである。
 元寇における二度の失敗も、単なる「神風」の恩恵ではない。荒れる海峡によって補給線が極めて脆弱であったという物理的制約こそが、大陸軍の継戦能力を奪った本質的要因であった。この「兵站の断絶」により、日本は大陸における「易姓革命」の波及から守られた。
 その結果、天皇制という権威を政治(権力)から切り離し、純粋な象徴へと昇華させるという独自の統治構造を、千数百年かけて「国民の常識」にまで定着させることができたのである。
 一方、イギリスは、現在の英国王室の出自がドイツであるというだけでなく、2度にわたるフランスとの100年戦争、ノルマンコンクエストなどなど大陸ヨーロッパとの直接的な政治的関わりを常に維持していた。

4. 朝鮮半島という「コルク栓」

 さらに、日本にとっての「幸運」は、大陸との間に朝鮮半島という「コルク栓」が存在したことにある。半島が独自の国家を維持し、大陸の膨張エネルギーを吸収する緩衝地帯となることで、日本は海峡という最後の防衛線を一度も破られることなく歴史を刻むことができた。
 アッバース朝のような大陸国家が数百年で断絶を余儀なくされたのに対し、日本が享受した千年以上の「孤独」は、万世一系という虚構を「現実」と誤認するほどの強度をもたらした。この強固な歴史的連続性こそが、近代以降の最強の外圧さえも自らの構造内に取り込み、国家を崩壊させずに再編し続ける日本文明特有の復元力の源泉となった。

5. 「地域統合」という現代の分水嶺

 この歴史的・地理的条件の差は、現代における「地域連合」への適応力の差として現れているのではなかろうか。
 イギリスは2020年にEU(欧州連合)を離脱(Brexit)したが、離脱できるのはそもそも「加入していた」からに他ならない。イギリスにとって欧州大陸は、ナポレオン戦争や二度の世界大戦を経て、価値観を共有し、法体系や市場を統合し得る「地続きの他者」であった。経済的・政治的摩擦はあれど、ドーバーという「道」によって結ばれた隣国同士、ひとつの共同体を形成するリアリティがそこには存在する。
 一方で日本は、東アジアや東南アジアを見渡しても、EUに近い地域連合に加入できる見通しは当面成立しない。これは単に経済格差や政治体制の差によるものではないのかも知れない。対馬海峡という「壁」がもたらした千年の孤独が、日本に「他者と主権を部分的に共有する」という発想をもつことを困難にしている。

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