「代表」とは何か~政治的代表と統計的代表(その2)
ピトキンの政治的代表と統計的代表の対応関係
統計的代表の基本的な性格は、ピトキンの描写的代表に相当するものではあるが、他の3つの代表概念との関係はどうなるのであろうか。
<形式的代表>
まず、形式的代表概念については、統計的代表の認識論的側面が問題となる。標本から計算される統計量としての代表値は、その値自体からは何らの「正しさ」も導出することはできない。サンプルの収集過程とそこからのデータの計算方法が、一定の基準をクリアしているかどうかが、その「正しさ」を保証することになる。よって、統計的代表概念にも、その「代表値」の形成プロセスの「正しさ」によって土台が作られるという側面がある。
<象徴的代表>
次に、象徴的代表概念については、存在論的側面が問題となる。「自分たちの代表」と感じられるためには、そもそも「自分たち」、すなわち母集団が形成されていなければならない。選挙で言えば、有権者団が定義されていなければ、代表を論じることができないというであり、統計的代表でも母集団が定義され、それが何らかの意味で存在していなければならないということになる。
代表者に求められる行動
統計的代表の場合には、「代表値」は行動しないので、ピトキンの実体的代表概念に対応する側面はないように思える。
とはいえ、代表値を用いて、どのような意思決定をするのかということが、近時問題となっている。この局面では、代表値の信頼性という問題に注目が集まっている。母集団の存在論ともかかわるが、統計的代表値は確率的な存在者であり、確定することはない。統計学の分野では、その統計量の信頼性について各種の指標が研究されている。行動指針として機能できるかどうかという点で、統計的代表概念にも実体的代表性の側面を見出すことが出来るかも知れない。
ピトキンの実体的代表という概念は、代表者の行動指針を示すものであり、以下のように説明されている。
かくして、私たちは今や、最後に到達した[実体的]代表観についての検討をまとめて、それを私たちが知っている政治の実態に照らして評価し、また両者を関連づけなければならない地点に至った、と言うべきだろう。私たちが到達した代表観の定式化は、おおよそ以下のようなものになる。代表するということは、この場合被代表者の利益になるように、非代表者の声に応じながら行為することを意味する。代表者は独立して行為しなければならない。代表者の行為には自由は裁量と判断の余地がなければならない。代表者こそが、行為者でなくてはならない。被代表者もまた、ただ世話をされるだけではなく、独自の行為と判断が可能で(あると見なされ)なければならない。その結果、代表者と被代表者との間で、何がなされるべきかについての対立の可能性も生じるのだが、それにもかかわらず通常その対立は発生してはならない。代表者は対立が生じないように行為しなければならず、もし争いが生じた場合には説明が要求される。代表者は、被代表者の利益の観点から十分な理由もないのに、つまり、被代表者の要望とその利益がなぜ一致しないのかを十分に説明することなく、その要望にずっと背き続けるような状態にあってはならないのである。
ピトキンの代表概念で重要な点は、代表者こそが「行為者」でなければならないと同時に、代表者が被代表者と対立が生じないように行動しなければならないという点だろう。
統計的代表が確率的存在者であることと同様に、政治的代表も代表者の自律性と被代表者の利益という「ゆらぎ」の中で行動が決定されなければならないという意味で、特定の一人の絶対的意思では行動決定できないという存在者であるということになる。
実際の政治的代表者は、この「不安定さ」に耐えられる胆力が必要ということになるだろう。
