自由貿易の「神話」を超えて:トランプ関税の理論的正当化の可能性
比較優位の限界
長らく主流派経済学において、比較優位に基づく自由貿易は、国全体の厚生を高める「正義」とされてきた。より形式化された言い方では、「自由貿易化は、常にパレート改善である。」という定理となる(だから、証明される必要がある)。
しかし、ジョン・マクラレンが『国際貿易:グローバル化と政策の経済分析』で提示するように、現代の貿易理論は、「自由貿易は一律に幸福をもたらす」というナイーブな段階にはない。
特に第6章で展開される、自由貿易が高所得国・低所得国の双方で所得格差を拡大させうるという理論モデルは、近年のトランプ主義的な保護主義が、単なる感情的なポピュリズムではなく、冷厳な経済的リアリズムに基づいていることを示唆している。
生産要素の個別性
この問題を理解する上で不可欠なのが、ヘクシャー=オリーン・モデルから導かれる「ストルーパー=サミュエルソン定理」である。この定理は、ある財の価格が上昇すると、その財の生産に集約的に使われる生産要素(労働や資本)の報酬が、物価上昇以上に上昇することを証明している。これを自由貿易に当てはめると、米国のような資本や高度な技術が豊富な国が自由貿易に踏み切れば、熟練労働者の賃金は上昇する一方で、途上国との競争に晒される非熟練労働者の実質賃金は、相対的にも絶対的にも低下するという結論が導かれる。
マクラレンはこの議論をさらに進め、労働者技能の「移動性」の低さや、産業特有のスキルの重要性を強調する。グローバル化の荒波に飲まれ、工場が閉鎖された地域の労働者が、即座にハイテク産業やサービス業へ転職できるわけではない。特定の職種や地域に固着した労働者にとって、自由貿易は恩恵ではなく、生活基盤を破壊する「搾取」の装置として機能しうるのだ。これが、かつての工業地帯「ラストベルト」で噴出した怒りの正体である。
トランプ関税の「合理性」
こうした研究成果を踏まえれば、トランプ関税の意味を単なる「経済的無知による障壁」と切り捨てるのは早計である。トランプ関税は、グローバル化がもたらした「分配の失敗」に対する、政治の側からの調整の試みといえる。関税の導入は、消費者物価の押し上げや生産効率の低下というコストを伴う一方で、国内の非熟練労働市場における需要を強制的に維持し、ストルーパー=サミュエルソン定理が予言する「実質賃金の低下」に歯止めをかけようとする役割を期待されている。
もちろん、関税だけで21世紀の産業構造の変化を食い止めることは不可能だろう。しかし、マクラレンが留保条件付きで示したように、自由貿易が常に全員を勝者にする(パレート改善する)わけではないという認識は、今や政策決定の前提とされるべきだ。かつての教条的な自由貿易論が無視してきた「敗者」たちの存在を、関税という劇薬を用いて可視化した点に、トランプ的政策の特異性がある。
今求められているのは、自由貿易によって必然的に生じる職種間の格差をどう制御するかという視点だ。マクラレンのような最先端の知見は、我々に「制御された貿易」や、より強固な国内再分配政策の必要性を突きつけている。トランプ関税という現象は、効率性のみを追求してきた経済のあり方に対し、社会的な持続可能性を問い直す重い警鐘なのである。
