「あいまい会話はなぜ成立するのか」を導き手として考える将来のロー・コンテキストな日本社会における熟議、討議
「あいまいな会話」の3つの不思議
岩波科学ライブラリーに「あいまい会話はなぜ成立するのか」という本があります。
本書では、「日常会話は遠回しな表現でみちているにもかかわらず、聞き手は話し手の意図を直ちに理解する。」というよく考えるとすごいことが実現していることについて、3つの「不思議」を設定して理解していこうとするものです。
・文脈の検索
話し手の発話の文脈を探し出すように推測する。
・推論の収束
必ずしも根拠が万全に与えられなくても、発話の含意の解釈をほどほどのところで止める。
・関節表現
実際に発話したこと以上の意図を伝える表現をする。
この3つの「不思議」が成立することによって「あいまいな会話」が成立するということになる。
間接的表現の意義
「文脈の検索」と「推論の収束」は、同時決定の可能性が高く、これはあいまいな会話=間接的表現が機能する前提条件として整理できるだろう。
他方、間接的表現の存在理由、その効果・効用は何かということが問題となる。
進化心理学的に考えた場合、間接的表現が適応度の向上に直接寄与したということも考えられる。
とはいえ、この間接的表現それ自体に価値があるということではなく、その前駆体のようなものがあって、それが環境ニッチに適合した結果であるという可能性もある。
よって、間接的表現の効果・効用を検討するといっても一筋縄ではいかないのだろう。要すれば、間接的表現の在り様自体をそのまま分析しても答えは出てこないかも知れないということだ。
理想的には、間接的表現が、ゲノムとしてもミームとしても進化的に生成しなかった環境を見出すことができれば、比較によって、その効果・効用を解明できるのかも知れない。そこまで出来なくても、間接的表現が広まっている度合いの小さい、低い環境と比較することができれば、多少先に進むことができるだろう。
ロー・コンテキスト社会化する日本
さて、日本は今後、ハイ・コンテキスト社会から、直接的表現で、何かにつけ詳しい説明が求められるロー・コンテキスト社会になって行くと言われている。とすると、現在の記録を丁寧に確保すると、将来的には、上で述べた「比較」が可能になるのかも知れない。
これからの子どもに求められる人間関係構築の素養も「察する」ことではなく、「丁寧に自己表現する」ことになっていくのだろう。
確かに、腹の探り合いばかりのコミュニケーション、話し合いはつかれるばかりで、高コストなので、適度な範囲であれば、そういう変化も悪くはないのだろう。
そういったロー・コンテキストな社会において、建設的な議論が成立するめには、話し合いのための「わざ」を市民が身に着け行かなければならないということになるだろう。
乱暴に「正しさ」を振りかざすのではなく、ディベートちっくな議論を避けることが不可欠だ。そして、その話し合いの中で、自分や自分の意見が変化していくということを忌避しない、むしろ、それを前提とする心構え、心持ちを養っていく。
その前提の元、「あいまいではない」会話によって、ラポールを形成していく。そのような状況において、市民が政治的な熟議もできるようになっていく必要がある。
自戒を込めて!!
