「代表」とは何か~政治的代表と統計的代表(その1)
そもそも「代表」とは、何なのか?
日本では、ここ1年の公職選挙によって、多党化が進み、実効政党数が増えている。このため、「自分の政治的意見が十分に代弁されず、政策実現がなされない。」として、代表性に対する不信をもつ人が増加しているのかもしれない(理念的な二大政党制の場合では、有権者の過半の支持によって一つの政党が執政府を形成するから、半分は代表性を信認できる)。
また、日本の地方自治において、直接選挙で選ばれる自治体首長と自治体議会の対立が目立つようになっており、二元「代表」制の下で、選挙で選ばれた2つの勢力が「代表性」の獲得で争うべく、不信任合戦をするようになっている。
こうなると、選挙による「代表」と何を意味するのか、「代表者」の行動とはどうあるべきか、ということが改めて問題となってくる。
この問題をピトキンの「代表の概念」における代表概念を軸とし、統計的代表という概念を補助線に少し考えてみたい。
ピトキンの4つの代表概念
ピトキンは、4つの代表概念を論じていると整理できる。
その4つとは、
・形式的代表
事前に合意された制度的ルールによって選出される。
・描写的代表
代表者群が被代表者群と同じ属性をもっている。
・象徴的代表
被代表者にとって、代表者が「自分たちの代表」と感じられ、意味付けられる。
・実体的代表
代表者が被代表者の利益や意思に沿って行動する。
この4つの概念は相互排他的なものではなく、むしろ代表ということの正統性を支え合っているということが出来るだろう。
統計的代表概念とは
ピトキンの政治的代表とは別に、統計的代表という概念がある。これは、「標本が母集団の特性をどの程度正確に反映しているか」というものだ。この文言から分かるように、統計的代表概念は、ピトキンの「描写的代表」に対応するものとなっている。
この統計的代表という概念の哲学的検討も深まっている。具体的には、存在論と認識論的に、統計的代表という概念を検討されている。
存在論的な検討では、標本は人為的に作られたものであるので、当然、それは仮構的にではあっても存在していることは確かであるが、本当に知りたい母集団というものが、本当に存在しているのかということが問題となる。母集団が存在しないのであれば、統計的代表性を議論しても仕方がないということになる。
また、認識論的な検討では、なぜ標本から得られたデータを母集団全体に当てはまるものとして理解できるのかという問題が問われている。これは、認識手法の問題であり、いわゆるサンプリング理論を巡る議論ということになる。
