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本屋が街にやってきた〜ようこそBOOK'N BOOTH!路地裏の奇跡。

最近よく本屋に行く。
週に一度は行く。
理由はひとつ。
近所に小さな本屋が出来たから。

ただ、今にして思えば──
あの店は最初から、少し辺境の香りがしていた。

「パパ、近くに本屋さんが出来てるで」

日曜日の夕方、何かやましいものでも見つけたかのようにこっそり教えてくれたのは中学一年の娘である。

「ホンマか?」

鋭い眼光で見つめ返す。彼女は目を逸らさずこくりと頷く。その瞳に一点の曇りもない。

読書だけが唯一の楽しみで、それ以外の時間はいつも眉間にしわを寄せ、苦虫をつぶしまくっている私の口元が少し緩む。

「ホンマや。なかなかええ感じやで」

昼、ママと買い物に行く途中、何気なくいつもは通らない裏通りに入ったところ、偶然その本屋を見つけたらしい。

「パパが本好きなので言っときます」

店員さんにそう伝えて帰ってきたとのこと。

これはもう行くしかない。
行って確かめるしかない。

わたしは常々「近所に行きつけの本屋があるわたし」というセルフイメージに憧れを抱いていた。有名な大型書店ではダメだ。誰も知らない小さな本屋さんがいい。路地裏の住宅街にポツンとある本屋さん。人通りが少なく「こんな所で商売が成り立つのか?」とこちらが心配になるような本屋さん。雨にも負けず、風にも負けず、雪にも夏の暑さにも、物価高にも米不足にも負けぬ、そういう本屋にわたしは行きたい。

熱い思いを胸に、わたしは家を出た。
徒歩1分43秒、歩数にして86歩。近い。
信号のない十字路を右に曲がり、裏通りに入ると「本」とだけ書かれた小さな置き看板が店先の狭い歩道で異彩を放っている。夏休み明けの転校生ぐらい違和感がある。

「こんな…所に…本屋があるのか……?」

わたしはこの地に引越して10年以上になるが、この道を通るのは初めてだ。恐る恐る近づき、通行人をよそおいスッと入り口を横切る。ちらっと横目で見る。店名はBOOK’N BOOTH(ブッキンブース)。間口は狭いが奥行きがある。店内は明るく清潔感があり、奥には雑貨らしきものが並んでいる。ふむ、なかなかいい雰囲気だ。Uターンして再度横切る。店のほぼ中央にあるレジ前に店員さんと思しき女性がポツリと座っている。相手はまだ私の存在に気づいていない。他に客はいない。よし、今がチャンスだ。身体をぐいと傾け入り口に向かって右足を一歩踏み出したその瞬間、一抹の不安が頭をよぎる。


いや待て。いま入ると私は店員さんと1対1になる。胸をはずませ鼻息荒く家を飛び出してきたわたしは、1対1になったときのシミュレーションを完全に忘れていた。どのような切り口で会話をするのか、明るいご近所さんのノリで行くのか、それとも本と珈琲をこよなく愛する寡黙な中年男性の哀愁を醸し出そうか。あるいは「あれ?こんな所に本屋なんかあったっけ?」とおとぼけ親父のふりをした方がいいのか?

いや、そもそもなぜ事前にネットで下調べをしなかったのか。最近のヤングでナウな経営者の間では、出店する前からSNSなどでその制作過程の裏側を発信し、「なぜ自分達はこの店をやろうと思ったのか」など熱く語り、その試行錯誤、紆余曲折の物語を見せることで顧客の「応援したい」という気持ちを最大限引き出し、熱狂的なファンにしてしまうというプロセスエコノミーとやらが流行っている。わたしの様な情緒不安定で涙腺の緩い中年オヤジなどは容赦なく瞬殺される。

要するに何が言いたいのかというと、もし会話に困っても下調べをしておけば「SNSで見ましたよ」「あーそうなんですか、ありがとうございます〜」など全く生産性のない会話でなんとか沈黙を回避できるかも知れない。それなのに勢いよく家を飛び出してきた私はそんなことすっかり忘れていた。

「ここはいったん出直そう」と判断し、先にスーパーで買い物をする事にした。玉ねぎやじゃがいもなどをカゴに入れながら心を落ち着かせる。

数十分後、再び本屋さんの前に立った。夕日は西の空に沈み、街は群青に染まる。街灯には明かりが灯り、優しい風が初秋の香りとともにわたしの中をを通り抜ける。大きく息を吸い、スーパーのレジ袋をぎゅっと握りしめ、いざ店内へ。

「あ…あれっ?!」

ドアが開かない。全面ガラス張りの大きな扉は、一目で自動ドアではないと判断できたため、取っ手を引いたのだが開かない。焦ったわたしはすかさず押してみた。ガタガタっと音をたてるだけで開く様子は全くない。

入口近くの店内で雑誌を立ち読みしていたご婦人がチラッとこちらを振り返る。やばい!気まずい!!恥ずかしい!!!三重苦。顔は引きつり、背筋に冷たいものが走る。テンパりながらドアをガタガタしていると、取っ手のすぐ近くに赤い手書きの「←」マークが貼ってあるのに気づく。

えっ?…矢印?…左?……もしや……こ、これは……







「Sliding door!」(スライドドア!)





あぁ…なんということでしょう。これがスライドドアなのね…ありがとうサリバン先生。顔を赤らめ「横に引くんや……」とぶつぶつ言いながら入って行くと、立ち読みしていたご婦人がこっちを見ながら「うふふ」と微笑んでいる。本当に「うふふ」と発音して笑う人を初めて見た。

終わった。
隠しきれない知性と溢れんばかりのダンディズム。そんなアルベール・カミュを彷彿とさせる雰囲気をぷんぷん匂わせながら登場しようと企んでいたのに……これではただのおっちょこちょいおじさんである。

「あ、あの~、昼間に妻と娘がこちらに伺ったそうで。娘に『パパ行ってき~や』と勧められたので、あの~、来てみました。すごいですね。こんな所に本屋さんがあるなんて知りませんでした。いつからですか?すごいですね。この、前の道、初めて通りました。何年もこの近くに住んでいるのに。この道に人が通ってるの見たことないですよ。す、すごいですね。」

気まずさと動揺を隠せないわたしはなんとかリカバリーすべく、ごく自然に話しかけようと目論んだのだが見事に失敗。会話は支離滅裂。シンプルに不審者である。

それでも店員さんは終始笑顔を浮かべながら、楽しそうにいろんな事をいっぱい話してくれた。

「いろんな事をいっぱい話してくれた」とあまりにも抽象的で稚拙な表現をしたのは言うまでもない。どんな会話をしたのか、恥ずかしさと気まずさによって全くもって記憶にないのである。

ただ、所狭しと並べられている本を見た時の感動は今も鮮明に覚えている。陳列されている本をざっと見回しただけでもうわかった。

「この店とは相性が良い」

わたしは初めての本屋に入ったとき、まず店内をぐるっと一周する。入口付近や目立つところ、平積みされてる本をチェック。「あ~なるほど、通勤途中のサラリーマンをターゲットにしているのね。やれやれ、どうりで自己啓発本が多いわけだ」などとつぶやきながら棚にある本の背表紙にざっと目を通す。

この時、「これ!」と衝動買いしてしまうほど今の自分にドンピシャな本。絶対買おうと決めてはいるが後回しにしている本。死ぬまでには一回読んでみたいなと思いつつ保留している本。これらの中から1冊でもあればよし。2冊あればなおよし。3冊あれば相性よし。5冊あればもうそれは運命の出会い。では、このBOOK'N BOOTHはどうだったのか?

7冊。ざっと見回しただけで7冊。この狭い店内で7冊だ。運命の出会いどころではない。脳髄を射抜かれるほどの衝撃である。

この日以来、わたしは週末になるとせっせと通い詰めることになる。読みたい本があるから本屋に行くのではなく、本屋に行きたいがため必死に本を読むという本末転倒ぶりだが、充実した日々ではある。

近所に本屋さんが出来たというだけでこんなにも幸せな気持ちになるものなんだなとしみじみ思う。

しかしこの時わたしはまだ気づいていなかった。ここが辺境ライター高野秀行本の聖地だということに。しかも、自分がこんなにも1人の作家に沼っていくことになるなんて。









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