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映画『ハムネット』は、「ハムレット」が生まれる前の“喪失”の物語だった―精神科医として観た、シェイクスピアと悲嘆の映画―


Hamnet は、単なる「シェイクスピアの家族の話」ではありません。

この映画は、

「子どもを失った夫婦が、どうすれ違い、どう孤独になり、どう相手の悲しみを理解し直すのか」

を描いた、非常に繊細なグリーフ(悲嘆)の物語です。

そして同時に、この作品は、

“なぜ Hamlet が生まれたのか”

を、“喪失”という視点から描いた作品でもありました。


シェイクスピアは、「人間の感情」を書き切った作家

William Shakespeare は、「世界で最も有名な劇作家」と言われます。

『ロミオとジュリエット』
『マクベス』
『リア王』
『オセロー』
『ハムレット』

彼の作品には、

  • 嫉妬

  • 復讐

  • 権力

  • 狂気

  • 喪失

  • 孤独

  • 生と死

など、人間の感情がほとんどすべて描かれています。

だからよく、

「現代のドラマや映画の原型は、ほぼシェイクスピアにある」

とも言われます。

その中でも『ハムレット』は、“死”と“悲しみ”を描いた代表作です。

「生きるべきか、死ぬべきか(To be, or not to be)」

という有名なセリフは、単なる哲学ではなく、

“深い喪失の中で、人はどう生きるのか”

という問いそのものだと言われています。


「ハムレット」ではなく、「ハムネット」

この映画のタイトルは『ハムレット』ではなく、『ハムネット』です。

ハムネットとは、シェイクスピアの実在した息子の名前です。

彼は双子の片割れとして生まれ、8歳で亡くなりました。

そして興味深いのは、当時「Hamnet」と「Hamlet」がほぼ同じ名前として扱われていたことです。

つまり、『ハムレット』という作品には、“亡くなった息子の名前”が刻まれている。

この事実を知るだけで、『ハムレット』という作品が、まったく違って見えてきます。

復讐劇でありながら、どこか全編に漂う「死者への執着」。

亡霊として現れる父。

生と死の境界。

存在し続ける“失われた人”。

『ハムレット』には、「喪失した相手を手放せない感情」が流れています。

そして『ハムネット』は、その“原点”を描いている映画のように感じました。


アグネスは、“母を失った娘”でもあった

この映画でとても重要なのは、アグネス自身が、すでに「喪失」を経験している人物だということです。

映画では、彼女の母は出産時の大量出血によって亡くなったことが強く示唆されています。

16世紀の出産は、現代よりはるかに危険でした。

  • 産後出血

  • 産褥熱

  • 感染

  • 胎盤異常

などで、多くの女性が命を落としていました。

映画の中でも、血の描写や、幼いアグネスが母に近づけない場面が印象的に描かれています。

つまりアグネスは、

「死によって母を奪われた子ども」

だったのです。

精神医学的に見ると、幼少期の喪失体験は、その後の人生の悲嘆反応に強く影響することがあります。

特に、

  • 愛着対象との死別

  • “触れられなかった別れ”

  • 十分に悲しめなかった体験

は、その後の喪失体験をより深く、複雑にします。

だからアグネスは、ハムネットの死だけを悲しんでいるのではない。

「母を失った幼い自分」も、同時にもう一度傷ついているように見えました。


木の根の穴は、「無意識」と「喪失」の象徴だった

この映画で何度も登場する、“木の根の穴”。

私はあの場所を、「無意識」と「喪失」の象徴として観ていました。

精神分析では、“穴”はしばしば、

  • 母性

  • 喪失

  • 境界

  • 再生

を表します。

そして“根”は、家族や命のつながりです。

つまりあの場所は、

「失われた人とのつながり」
「言葉にならない感情」
「世代を超えて受け継がれる悲しみ」

が沈んでいる場所のように感じました。

アグネスは何度も、“失われる存在に触れよう”とします。

  • 母に触れられなかった

  • 死産しかけたジュディスを抱こうとする

  • ハムネットの身体に触れ続ける

それは、

「失われるものを、自分の手でつなぎ止めたい」

という切実な願いにも見えます。
そして、そうするとき“穴”は「生命が受け継がれる場所」となるのです。


子どもを失った夫婦は、同じようには悲しまない

精神科医として非常にリアルだと感じたのは、夫婦の“悲しみ方の違い”です。

子どもを失ったとき、夫婦は同じ出来事を経験します。

でも、同じようには悲しみません。

  • 泣き続ける人

  • 働き続ける人

  • 話したい人

  • 話せなくなる人

  • 思い出を残したい人

  • 思い出を見るのも苦しい人

悲嘆反応には個人差があります。

しかし人は、自分と違う悲しみ方を見ると、

「そんなに悲しくないの?」
「忘れたの?」
「向き合ってないの?」

と感じてしまうことがあります。

実際、子どもの死別は、夫婦関係が不安定になる大きなリスク因子でもあります。

アグネスは、「自分だけが悲しんでいる」という孤独を抱えていたように見えました。


シェイクスピアは、“作品”で息子を成仏させた

でも後半、観客は気づきます。

夫もまた、別の形で、深く悲しんでいたのだと。

彼は“書く”ことで、息子の夢を実現させていた。

『ハムレット』という作品は、単なる復讐劇ではなく、

「死んだ息子を、短い生涯ではあったが、大きな意味を残した存在として記憶するもの」

だったのかもしれません。

8年しか生きられなかった息子。

でもシェイクスピアは、その子の名前を、数百年残る作品に変えた。

もちろん、悲しみは消えません。

でも、

「この子がいた意味」
「この子が残したもの」

を感じられたとき、人は少しずつ、“失ったあと”を生き始めます。


最後に、アグネスは「夫の悲しみ」を知った

この映画のラストで最も胸を打たれたのは、アグネスが、

「夫は、自分以上に悲しんでいたのかもしれない」

と気づいた瞬間でした。

それは、「どちらがより悲しいか」という話ではありません。

人は、自分と違う悲しみ方をしている相手の痛みを、見失ってしまうことがある。

でも本当は、それぞれが、それぞれの方法で、必死に愛していた。

『ハムネット』は、喪失の映画でありながら、

“他者の悲しみを理解し直す物語”“他者の愛を確認する物語”

でもあったように思います。

そして、その構造自体が非常にシェイクスピア的でした。

冒頭の小さな描写が、最後に大きな意味を持つ。

冒頭の会話。
母の死。
双子。
木の根の穴。
名前。
沈黙。

そのすべてが静かに伏線として回収されていく。

私は観終わったあと、「これは悲劇」というより、

“愛と再生の物語”

であることを知りました。

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