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「男らしくあれ」と言われた時代── 昭和の男性像は、何を守り、何を背負ってきたのか。

プロローグ
私は、横浜・山手の男子校で六年間を過ごした。
その学校には、「Be Gentlemen.」という言葉があった。
少年だった私は、その意味を深く考えることはなかった。
けれど、七十歳を迎えようとする今、その言葉をもう一度読み直してみたいと思うようになった。
この数十年で、社会は大きく変わった。

ダイバーシティという考え方が広がり、多様な生き方が尊重されるようになった。それは、社会が成熟するための大切な変化だったと思う。

一方で、「男らしさ」という言葉は、いつしか口にしづらいものになった。
しかし、その価値観の中で人生を歩み、家族を支え、社会を支えてきた人たちは、今も数多く生きている。私も、その一人である。

泌尿器科医として、私は長年、多くの男性と向き合ってきた。
診察室で語られるのは、病気だけではない。
仕事のこと。
家族のこと。
老いのこと。
失われた自信。
そして、誰にも語れなかった不安。
その一つひとつに耳を傾けるうちに、私の中に一つの問いが残った。

「男らしさ」とは、何なのだろう。
歴史がつくった価値観なのか。
生物学的な特徴と関係しているのか。
あるいは、その両方なのか。
科学は、問いを立てることから始まる。

この作品では、結論を急がない。
歴史をたどり、生物学を見つめ、文化を考え、診察室で出会った現実を重ねながら、一人の泌尿器科医として、「男らしさ」という言葉を静かに考えてみたいと思う。
「Be Gentlemen.」
あの頃は通り過ぎてしまったその言葉が、人生の後半になった今、私に新しい問いを投げかけている。

「男らしくあれ」と言われた時代
── 昭和の男性像は、何を守り、何を背負ってきたのか。

プロローグで触れたように、私は七十歳になった今、少年時代に出会った「Be Gentlemen.」という言葉を、もう一度読み直そうとしている。
そのためには、まず私たちが長く使ってきた「男らしさ」という言葉を、歴史の中に置いて考えてみる必要がある。

近年、「男らしさ」という言葉は、以前ほど気軽には使われなくなった。
「男だから泣くな。」
「男だから強くあれ。」
「男だから家族を守れ。」
こうした言葉は、固定的な性別役割を押しつける表現として語られることも少なくない。

その背景には、ダイバーシティや男女平等という価値観が社会に広がり、多様な生き方が尊重されるようになった時代の変化がある。
私は、その変化そのものを否定するつもりはない。
むしろ、多様な人生が認められる社会は、人が自分らしく生きるために大切な前進だったと思っている。

しかし、その一方で考えたいことがある。
当時の時代に語られてきた「男らしさ」は、本当に間違いだったのだろうか。
私は、そう単純には考えていない。
価値観には、それが生まれた時代の理由がある。
戦後の日本は、焼け野原から復興し、高度経済成長を経て社会を築いてきた。
家族を養うこと。
会社で働き続けること。
責任を果たすこと。
その積み重ねが、日本という社会を支えてきたことも事実である。
高度成長時代、多くの家庭では、男性が外で働き、女性が家庭を守るという役割分担が一般的だった。
現在から見れば、一つの価値観に偏っていた面もあったかもしれない。
しかし、その社会構造の中では、それは決して不自然な考え方ではなかった。

男性は家族を守ることを期待され、そのためには、多少の苦労や不安があっても表に出さず、責任を果たすことが求められた。
「男らしさ」とは、そうした時代が生み出した一つの社会的な役割でもあったのである。

もちろん、その価値観がすべての男性にとって幸せだったとは言えない。
弱音を吐けない。
助けを求められない。
感情を表現しにくい。
そうした生きづらさを抱えながら人生を送った人も少なくなかっただろう。
それでも、その価値観だけを現代の基準で裁いてしまうことには、私は少し慎重でありたい。
歴史は、善悪だけでは語れない。
その時代には、その時代なりの合理性がある。
そして、その合理性の中で、多くの人が懸命に家族を支え、社会を支え、日本という国を築いてきた。
だから私は、「男らしさ」という言葉を、まずは歴史の中で理解してみたいと思う。
否定するためでも、懐かしむためでもない。

ここでいう「男らしさ」とは、性格や能力ではない。
その時代に社会が男性へ期待した役割の総称として、この言葉を用いる
「なぜ、その価値観が必要だったのか。」
そこから考え始めたいのである。

時代は変わった。
人口構造は変化し、家族のかたちも多様になった。
女性の社会進出が進み、働き方も、生き方も、一つではなくなった。
社会が変われば、その社会が求める役割も変わる。
それは、ごく自然なことである。
そして、「男らしさ」という言葉もまた、その変化の中で揺れ動くようになった。

かつては肯定的に使われていた言葉が、今では固定的な性別役割を連想させるものとして受け止められることもある。
その結果、「男らしさ」という言葉そのものを避ける空気が生まれた。
私は、その変化も理解できる。
一人ひとりの生き方が尊重される社会は、これからも大切にしていかなければならない。

しかし、それでも私は、一つの疑問を抱いている。
私たちは、「男らしさ」という言葉を見直そうとしているのか。
それとも、言葉そのものを遠ざけてしまっているのか。
この二つは、似ているようで大きく違う。
歴史の中で生まれた価値観には、時代が変われば見直すべき部分がある。
しかし、見直すことと、否定することは同じではない。

私は、七十歳になった今、その違いを丁寧に考えてみたいと思っている。
診察室では、男性更年期をきっかけに、多くの男性が自分自身の生き方を語ってくれる。
仕事一筋で生きてきた人。
家族を守ることだけを考えてきた人。
責任を果たすことを人生の中心に置いてきた人。
彼らは決して「昭和の男らしさ」を語りたいわけではない。
ただ、それぞれの時代の中で、自分に求められた役割を誠実に果たそうとしてきたのである。

あの頃学校で耳にした「Be Gentlemen.」という言葉も、この「役割」と同じ意味だったのだろうか。
その姿を見ていると、「男らしさ」は単なる社会制度や流行した価値観だけでは説明できないように思えてくる。
では、その根底には何があるのだろう。
社会が変わっても変わらないものはあるのだろうか。
あるいは、「男性」であることには、生物学的な特徴が存在するのだろうか。

ここから先は、歴史だけでは答えが見えてこない。
文化だけでも説明できない。
そこで次回では、泌尿器科医としての視点から、「男性」という存在を生物学的に見つめ直してみたい。
男らしさは、テストステロンだけでは説明できない。
しかし、テストステロンを知らずして、「男らしさ」を語ることもできない。
その土台の上に、私たちがどのような文化を築き、どのような人生を歩んできたのか。
次回は、その出発点となる「男性の生物学」について考えてみたい。


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