2つの「ゴースト」と戦った拓真と天心
「自分のゴーストを見せたい」
とは試合前に那須川天心が放った、意味深なひとことだ。彼らしい大言壮語の類ではあるが、おそらくディフェンスのあり方のことを言っていたのだと思う。
世界のボクシング界では「ゴースト」と異名のつく選手は、長身で、体が柔らかく、捉えどころのない選手のことだったりする。古くはケリー・パブリックやロバート・ゲレロ、最近ではラファエル・エスピノサがそれにあたるのだろう。大橋ジムにも、会長自らがそう呼ぶ中学生の逸材がいるらしい。
天心が言った「ゴースト」とはそれとはちょっと違くて、まるで亡霊のように、柳の枝のように、ゆらゆらと揺れて、鼻先三寸でパンチをかわしてしまうような、ディフェンスのことを指していたのだと思う。相手からすると当たりそうで当たらない、まるで掴みどころのないゴースト。スパーで出ごたえを掴んでいたのかもしれない。
実際、天心はそれができていた。しかし1、2ラウンドのみだったが。
研究熱心な彼は、重心の置き方や丹田や気の流れなど、古武術の動きなどからヒントを得ているらしく、まるでネコ科の動物のような動きと攻防で、ボクシングを曰く「シン・ボクシング」として見せつける意図とストーリーがあった。それが冒頭の発言につながったのではないか。
天心が戦うべきだった「自らの心」
3ラウンドからは、拓真の経験と対応力に「ゴースト」はいとも簡単に見破られた。出だしに劣勢を感じた拓真は、激しいボディワークと細かいフェイントを入れ始める。カンの良い天心はそれらのアクションに敏感に反応する。というか、してしまう。
拓真の相手にプレッシャーを与え続ける、細やかなステップワークも巧みだ。天心には自分のリズムでゆったり幻惑する余裕もなくなり、結果「見る時間」が増えてしまう。細かい動きに注意するが故に、気づけば徐々に両者の距離は徐々に縮まっていた。
拓真と天心ではおそらく拳一つ分ぐらい距離が違うのだが、そのシチュエーションと対応には拓真は慣れている。そこが経験の差なのだ。経験の浅いボクサーは得てして距離でヤラれる。
近距離に慣れていない天心はガードを固める時間帯も増えてきた。上体も浮き上がり、パンチも出にくくなる。苦し紛れに後手でパンチを出しても、もうそこに拓真はいない。終盤には、ガードの隙間を左ボディや右アッパーで割られる。どうしようかと戸惑っていると、ジャブや左フックのカウンターでコツコツとポイントを取られる。こうやって相手に手詰まりを感じさせる、井上家ならではの戦い方に、飲み込まれていくキックの神童。序盤にイケると思っただけに、動揺はデカい。
この局面で天心は、「自らの心」というゴーストと戦う必要があったのだ。何かと大袈裟な発言が話題になる彼だが、正直まだ精神的な未熟さを感じさせる。
それがメイウェザー戦の大号泣や、数々のビッグマウス。そして今回の1R後の小躍りや、セコンドとの微妙な関係性、試合後の土下座シーンなどの場面に象徴されているように思う。要は、まだ自らのエゴや感情をコントロールできていないのだ。
キック時代の栄光や、メディアや周囲の持ち上げ方、あるいはアンチの存在などで、ボクシングに来てからの彼の、プライドではなく「エゴ」はますます肥大化したように思う。正直、指導環境にも問題があるのではないだろうか。
井上兄弟の場合は、決して天狗にならないために父の存在がピリっと効いている。いくら周りが持ち上げても、本当のことを言うために自分がいる、と真吾さんは常々言っている。
本来は、天心も親父さんの存在がそうなのだと思うが、そこはジムの方針の
違いなのだ。
初めての敗戦。
このタイミングで天心は「真の自分」と向き合う必要が出てきた。というか、そのチャンスなのだ。「ここでやめたらカッコ悪いでしょ」とか、もはや自分の見られ方に気を向ける必要なんてないのだ。ありのままの自分で良い。それが一番強いし、一番カッコいい。
具体的な策として思うのは、ルディ・エルナンデスのような海外のトレーナーを頼って武者修行に出る。国内ならば、旧知の葛西裕一氏を特別コーチに迎えるなど、抜本的な指導環境の改革をしないと、せっかくの逸材を飼い殺しにする可能性が高くなってしまう。
今のところ、天心はボクシングの革命者でもないし、モンスターとの対戦などまた夢の話だ。個人的には、キック出身の変則型スピードスターを目指して、心身を入れ替えて精進してほしいと思う。正直、時間はそれほどないのだから。

拓真が戦った「モンスターの弟」像
もう1人、拓真が戦ったゴーストとは、2ラウンドまでの天心だけでなく、ここも自らの心との戦いだった。前戦ではそこが露呈され、堤の執念に飲み込まれた。気持ちが弱いというよりも、ムラがある。持続力に問題があるのだ。
今回の一番のテーマは「何があっても平静でいること」「気持ちを切らさないこと」だったという。3Rから切り替えも見事で、何度かあった押し倒しにも、気持ちが揺れる様子が見られなかった。
真吾さんの指示「色濃く戦う」という表現が、見事にハマった戦い方だったと思う。
そしてもう1つ。彼は「井上尚弥の弟」という幻影とも戦い続けてきたように思えるのだ。小さい頃から、どれだけ優秀な成績を残しても「あの井上尚弥の弟」という見られ方はあっただろう。プロ入りしてからはなおさら差が開いてしまった。性格の優しい彼は、兄をライバル視するでもなく、影の存在、脇役としての自分に甘んじていたと思う。
そうやって自分に自信を持っていないから、気持ちにムラが出てしまうのではないだろうか。「どうせ自分なんて」っていう心の隙は、戦う男にとっては大きな弱点になる。
当たり前のことだが、井上尚弥と自分は違う。その違いを「差」とするのではなく、劣等感にするのでもなく、単なる「違い」として受け入れ、周囲に結果として伝える。モンスターとは違う、井上拓真というボクサーの魅力を体現していく。
「俺はココにいるぞ〜!」
そんな咆哮が、アンカハス戦や、今回の12R終了後の咆哮にはあった。
映像を確認すると、横にいた兄も「それでいいんだ!拓真」と、横で涙をこらえているように見える。
もう、ゴーストはいなくなっただろう。
というか、最初からいなかったのだ。亡霊とは自らの心の弱さが作り出すものだから。
今回の拓真の勝利には、そんな暗い影が、呪縛が取り払われたような清々しさがあった。
今後、堤との再戦、井岡戦、バム戦、気は早いが坪井戦などなど、自らを表現する大舞台はたくさん用意されている。
世界はTakumaを待っている!

