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コラム①『もうこの先、演劇はできないかもと思っていた』

 早稲田小劇場どらま館の企画する「どらま館Labo」
 今回上演する永遠幼稚園は、脚本・演出の山本健介さんが、ここ数年書き続けてきた脚本をもとにした作品です。
 こちらは、『永遠幼稚園』を理解するためのこれまでを紹介していくnoteのコラム連載です。本コラムでは、本作がどのような経緯で生まれたかを振り返ります。


ご挨拶

 もう演劇ができないかもなあ、と、思いながら過ごしていました。ちょっと前の話です。
 そんな中、書き出してみたのが、このたび上演の機会を得た『永遠幼稚園』という作品になります。

 あらためましてこんにちは。The end of companyジエン社という団体をやっています、山本健介です。早稲田どらま館Labo『永遠幼稚園』の脚本と演出をやっています。

ジエン社のこれまで

 私は、2007年に上記の団体を旗揚げしました。年齢は2026年に43歳になる年ですので、旗揚げは25歳の時になるのかな。

↑ジエン社第四回公演『コンプレックスドラゴンズ』

 以降、コンスタンスに演劇の上演を重ねていました。どんな作風なのか、なかなか客観的に言うのは難しいですが、「やる気ない人たちが、絶望を前提にしながら、各々ただその辺にいて、ただ居る」みたいな感じでしょうか。
 しばしば、同時に登場人物がしゃべる、みたいなことは意図的にやっていました。
 や、現代口語演劇では当たり前になっている、そんなに特別ではない手法でしたが、「ただ居る」人たちが勝手にそのへんに居る、という表現のために、結構熱心にこだわってやってた、みたいなのが、特徴といえば特徴か。

2011年の転機

 2011年の震災が来た、というのが、転機だった気がします。

 絶望が前提って言いましたけど、客席の方が絶望、強くなってしまったかもなあと思い、それ以降ずっと、どうしたものか。
 こうやって、何もしないで絶望していていいのか。どうしたらいいかわからないなあと思いながら作品を作っていました。
 このころ、「フェスティバル/トーキョー12」(※1)に参加したり、「20年安泰」(※2)という企画で五団体のうちに選んでいただいたり、2015年には、新しく再建された早稲田どらま館で、一番最初に舞台を使わせてもらう団体として上演し、その時の作品が2016年の岸田戯曲賞最終候補に選ばれたりはしてました。

↑ジエン社第十回公演『30光年先のガールズエンド』

コロナ、演劇ができない

 こつこつと、でも、やるんだよ、と、作品を作り続けていましたが、2020年のコロナ禍がやってきてしまって。
 2021年に参加を予定していた豊岡演劇祭の中止を受け、さらに自身で進めていた東京上演もリーディング上演という形に演目変更を契機に、団体、動けないなあと思ったり。
 どこまでコロナが関係していたかわからないけれど。自分自身もどこかおかしくなっていたのかも。人の話が聴けなかったし、また何も話せなくなってしまっていて。厳密には、今でも人と、本当の意味で話せていないのかもしれない。
 内面だけではなくハード面でも、私がいま、演劇やりたいなあと思ったら、自分の周囲の人たちに金銭的な損害を与えることが前提で進めなければならなくなってしまう。その事に、自分自身が耐えきれなくなってしまった。
 シンプルに、上演中止の補償とか、リスクとか。この時勢に、人の生活を壊してまで、演劇をすることにどんな大義があるのか、とか思ったりして。そのマイナスを跳ね返せるほどの大義が、自分の作ろうとするものに、あるのかどうか。

 旗揚げのころは全くそんな事考えなかった。周囲にダメージを与えようが何だろうが、面白いものを作るのだ、これは面白いのだ、楽しいのだ。だから、迷惑をかけても謝ればいいのだ。やるんだ。「でも、やるんだよ」。そんな強引な気持ちが20代のころにあったんだけれど。
 震災とコロナで、どうもその気持ちが、ゆっくり、ゆっくりとちぎれてしまった。

脚本を書く日々

 以降、映像の企画を中心に脚本仕事をしていました。
 こうやって、演劇というものからフェイドアウトしてしまうのかなあと思いつつ。
 演劇、嫌いではないんだけど。多分、好きではあるんだけど。演劇を好きであることで、自分も人も、生活が壊れちゃうんじゃなあ。

 そんな中、高校演劇の審査員の仕事をやったり、スヌーヌーという劇団に俳優として参加をさせてもらったり、ぎりぎり、演劇との関わり合いを繋いでいたという状況でした。
 ただ、もう、自分の団体を率いて、資金を確保し、スタッフを集め演劇はできなかったです。

 それでも、演劇の脚本だけは書いていて。
 別に上演のあてはなく。
 ただ、最低限一人、椅子さえあれば、照明も音響もなくても、どんな場所できるお芝居ができるような。私がここから居なくなっても、それでもできるような。そんな脚本を。

『永遠幼稚園』

 それが今作『永遠幼稚園』です。
 上演が出来なくても、俳優や演劇やりたい人に一人一人、脚本を携えて出会って、読んでもらい、感想を聞く。演じるならどんな風がいいか、ただ聞く。
 上演の代わりに、そういう活動ができていればいいかなあ、と思って、書いたものを手にしてうろうろしつつ、そんなことをしていました。

 なんでそんな事してたんでしょうかね。
 なんだろうな。サラエボの空爆下の中、スーザン・ソンタグが『ゴドーを待ちながら』の上演をやった、という話がずっと心に残っていて。
 や、俺は、ソンタグだうおお、という気持ちではやっぱりなく。
 なんでしょうね。「でも、やるんだよ」なんでしょうか。「てやんでえ」というか。
 歯向かいたい。気を遣いながら、でも歯向かいたい。迷惑にならないように気をつけながら、それでも、歯向かいたかった。「何もしない方が迷惑にならず、最適解」「大人として、ちゃんと絶望することが正しい」という何かに、歯向かいたかったんだと思いますね。 

どらま館、そして早稲田へ

 2024年に『えんげきのえ』というワークショップに企画に、脚本家として参加を打診されまして。

『えんげきのえ』の稽古場より

 ここでの参加を契機に、早稲田どらま館制作部の知古を得、周辺をふらふらしているうちに『永遠幼稚園』の脚本の存在を制作部が知ってくれて、で、2025年の12月にやる美濃加茂市との演劇交流の演目で学生と一緒に何かやりませんか、という流れになりました。

 自分自身も、揺れているさ中です。
 なんでしょうね、早稲田だから、演劇をやり始めた気もしますし、早稲田だったから、演劇にまた繋がれているのかなあという気もします。
 今日の所はそんな感じですかね。

山本健介


『永遠幼稚園』予約はこちらから👇

どらま館Labo『永遠幼稚園』
日程:2026/3/5(木)~3/8(日)
会場:早稲田大学GCC Common Center
詳細:『永遠幼稚園』特設HP



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