呼んだら来る扇風機
呼んだら来る扇風機が、家族の一員になる日
はじめに
360度扇風機は、もうある。
首を振るどころか、全方位に風を配る。
人類はついに「風を回す」ことには成功した。
でも、ふと思った。
次の扇風機は、たぶん回るだけでは足りない。
歩く。
いや、正確には移動する。
部屋中をススス……と走り、呼んだら来る。
「扇風機、こっち」と言えば、犬のように近づいてきて、無表情で風を送ってくる。
これは家電なのか。
それとも、風を吐くペットなのか。
風は、もう待っていてくれない
これまでの扇風機は、基本的にその場にいた。
リビングの隅。
寝室の角。
洗面所の近く。
だいたい、少し邪魔な場所にいる。
人間のほうが扇風機の前に行く。
角度を変える。
風量を上げる。
コードを引っかける。
足の小指をぶつける。
そして、少しだけ人生が嫌になる。
しかし移動式扇風機は違う。
人間が動かなくていい。
風のほうが来る。
これまで「風を浴びに行く」時代だったのが、これからは「風が訪問してくる」時代になる。
つまり、風の出前である。
「すみません、弱風ひとつお願いします」
「ただいま向かっています」
「到着まで約12秒です」
もう夏の家の中は、ほぼ宅配アプリになる。
呼んだら来るという、妙な愛着

問題は、呼んだら来ることである。
家電は、呼んだら来てはいけない気がする。
冷蔵庫が来たら怖い。
洗濯機が廊下を曲がってきたら、かなり怖い。
電子レンジが無言で近づいてきたら、もうホラーだ。
でも扇風機だけは、なぜか許せる。
「おいで」と言いたくなる。
「こっちこっち」と手招きしたくなる。
「今日も暑いねえ」と話しかけたくなる。
やがて名前をつける人も出てくる。
「うちの子、フーちゃんっていうんです」
「暑いと勝手に寄ってくるんですよ」
「でも段差に弱くて」
完全にペットである。
ただし、毛は抜けない。
エサもいらない。
たまに充電ドックで静かに眠る。
その姿を見て、人間は思う。
「今日もよく風を送ったな」
もはや労働者として見ている。

部屋の中に、風の巡回警備員がいる
移動式扇風機は、ただ呼ばれた場所に来るだけではない。
たぶん、そのうち勝手に巡回し始める。
リビングを一周。
キッチンを確認。
洗面所で湿気を発見。
ソファで寝ている父に弱風を照射。
スマホを見ている子どもに中風を配布。
家の中を、風の警備員が巡回する。
「異常な暑さを検知しました」
「送風します」
「汗ばんだ人間を発見しました」
「送風します」

ありがたい。
ありがたいのだが、少しだけ屈辱でもある。
自分では気づいていなかった汗を、機械に指摘されるのだ。
しかも無言で風を当てられる。
「お前、暑いぞ」
そう言われている気がする。
家族会議に参加する扇風機
たぶん、移動式扇風機が家にいると、家族の会話にも入ってくる。
母「ちょっと暑くない?」
父「いや、そうでもないけど」
扇風機「ウィーン」
母「ほら、扇風機も暑いって言ってる」
父「それは風量設定だろ」
そのうち扇風機の行動に意味を読み取り始める。

急に父のほうへ行けば、
「お父さん、汗かいてるんじゃない?」
子どもの部屋に長く滞在すれば、
「宿題してないの、扇風機にバレてるよ」
玄関に向かえば、
「誰か帰ってくるのかな」
ただのセンサーとモーターなのに、家族はそこに意思を見出す。
人間は昔からそういう生き物だ。
雲に顔を見つけ、壁のシミに物語を感じ、扇風機に性格を与える。
移動式扇風機は、たぶん無口な家族になる。
そして風は、少しうるさい同居人になる
もちろん問題もある。
夜中、暗い廊下で突然こちらへ向かってくる扇風機。
これは怖い。
トイレに行こうとしたら、角からスッと出てくる。
「ウィーン……」

善意なのは分かる。
涼しくしてくれようとしているのも分かる。
でも今ではない。
あと、呼んでもないのに来る問題もありそうだ。
ソファでだらだらしていると、正面に来る。
ずっと風を当ててくる。
逃げると追ってくる。
快適さを提供しているのか。
生活態度を監視しているのか。
その境界が、だんだん曖昧になる。

まとめ
360度扇風機は、風を広げた。
移動式扇風機は、風を連れてくる。
呼んだら来る。
暑い場所を見つけたら向かう。
部屋中を巡回して、人間に涼しさを配る。
便利だ。
とても便利だ。
でもたぶん、人間はそのうち扇風機にこう言う。
「今日はもういいよ。休みな」
そして扇風機は、何も答えずに充電ドックへ帰っていく。
小さな背中を見送りながら、こちらは少しだけ申し訳ない気持ちになる。
風を送ってくれるだけの機械なのに。
なんだか、働かせすぎた気がして。
未来の夏、家の中にはきっと、呼べば来る風がいる。
ただし名前をつけた瞬間、もう家電には戻れない。
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