名刺交換がカードバトルの会社
この会社では、名刺交換は挨拶ではない。
開戦の合図である。
初出社の日、先輩に言われた。
「いいか山田。名刺入れはただのケースじゃない」
先輩は自分の名刺入れを机に置き、低い声で続けた。
「デッキケースだ」

何を言っているのか分からなかった。
だが、その日の取引先訪問ですぐに理解した。
会議室に入り、向かいの担当者と立ち上がる。
「株式会社平常異常システムズ、営業二課の山田です」
俺が名刺を差し出した瞬間、会議室の照明が落ちた。
名刺が青白く光り、空中に文字が浮かび上がる。
《営業二課 山田》
攻撃力:300
防御力:200
特殊能力:緊張すると声が裏返る
弱い。
あまりにも弱い。
向かいの男は、わずかに笑いながら金色の名刺を差し出した。

《営業部課長 田所》
攻撃力:2400
防御力:1800
特殊能力:世間話だけで場を支配する
「課長カードだと……!」
隣にいた先輩がうめいた。
この会社では、役職が高いほど名刺の基本能力も高い。
さらに資格、経歴、実績によって特殊効果が付く。
TOEIC九百点なら、海外案件で攻撃力が二倍。
元コンサルなら、横文字を使うたびに防御力が上がる。
部長カードは、部下を生け贄にして追加行動できる。
執行役員ともなると、まだ何も話していないのに、会議室全体へ継続ダメージを与える。

人間性は、ステータス欄のかなり下に小さく書かれている。
そして、このカードバトルには一つ、恐ろしいルールがあった。
負けた人間は、相手チームのデッキに配置される。
つまり敗北とは、単なる失注ではない。
転籍である。

人事部との面談も、退職届も必要ない。
カードが裏返った瞬間、所属会社が変更される。
昨日まで敵だった人間が、翌朝にはこちらの朝礼に並んでいる。
「本日付で、株式会社先送り精密機構から加藤部長が加入します」
「よろしくお願いします」
「昨日、うちの社員を三人倒していましたよね?」
「それは以前の所属会社での実績です」

社員の切り替えは早い。
なぜなら、いつ自分がまた相手側へ移るか分からないからだ。
会社への忠誠心を持つには、この業界は流動性が高すぎた。
総務部は毎日のように社員証を作り直し、情報システム部はアカウントの発行と削除を繰り返している。
メールアドレスが週に三回変わる社員もいた。
コンペは団体戦
この業界では、大型案件のコンペも当然カードバトルで決まる。
各社が提案書、見積書、社員名刺を持ち寄り、先鋒から大将まで順番に戦う。
提案内容が優れていても、カードが全滅すれば失格。
逆に資料の中身が多少薄くても、役員カードを大量に投入すれば押し切れる。
プロジェクターに映される提案資料は、ほぼ背景である。

本番は名刺交換から始まっている。
「弊社のターン。《営業本部長》を召喚」
「特殊能力、“過去実績の横展開”を発動。前回案件の成功を今回の成果として扱います」
「ではこちらは《技術統括マネージャー》を守備表示で配置」
「効果、“要件の複雑化”により、相手の見積額を三割上昇させます」
「くっ……!」
「さらに永続効果《社長案件》を発動。この提案への本気度を最大まで引き上げます」
観戦していた新人が先輩に聞いた。
「提案書は読まないんですか?」
「時間があれば読む」
読まないらしい。
しかも、コンペが進むにつれて戦力差は広がっていく。
負けた社員が、そのまま相手側のカードとして配置されるからだ。

最初は五対五だったのに、気づけば三対七になっている。
「営業主任、木村。敗北!」
審判が宣言する。
木村の名刺が宙に浮かび、相手側のデッキケースへ吸い込まれた。
「木村さん!」
「すまない。今日からライバル会社だ」
「五秒前まで味方でしたよね?」
「前職の人間と親しく話すな」
切り替えが早すぎる。
さらに恐ろしいのは、元同僚がこちらの弱点をすべて知っていることだった。
「山田は質問されると、とりあえず持ち帰りますと言います」
「木村さん、情報を売らないでください!」
「今は敵だ」
カードバトルとは非情である。
最大のライバル会社
うちの最大のライバルは、株式会社先送り精密機構だった。
業界屈指の強豪企業である。
まず、名刺の紙が分厚い。
紙というより、ほぼ板である。
社名は銀の箔押し。
役職部分にはホログラムが入り、傾けると会社のロゴが回転する。
受け取っただけで「この会社は強い」と分かる。
なかでも恐れられているのが、営業戦略部長の氷室だった。

《営業戦略部長 氷室》
攻撃力:3800
防御力:3100
特殊能力:無言の圧
追加効果:倒した相手を即座に自社デッキへ配置する
氷室部長に敗れて、株式会社先送り精密機構へ移籍した社員は多い。
うちの元課長。
元部長。
元人事部長。
経理部には、部長の名前だけが書かれた空席が残っていた。
「人事部長を取られたのは痛かった」
先輩が言った。
「それから採用が止まっています」
「向こうでは活躍しているらしいぞ」
「何をしてるんですか?」
「うちの社員を採用している」
カードバトルとは別に、普通の引き抜きもしていた。
運命の大型コンペ
ある日、数十億円規模の大型案件が発表された。
参加企業は、うちと株式会社先送り精密機構。
事実上の決勝戦である。
コンペ前日、部長が社員たちを会議室に集めた。
「いいか。今回負ければ、案件だけでは済まない」
全員が息をのむ。
「少なくとも、社員の半分は持っていかれる」
それはコンペではなく、ほぼ吸収合併だった。
部長はホワイトボードに戦闘順を書いた。
先鋒、主任。
次鋒、課長。
中堅、技術マネージャー。
副将、営業部長。
大将、執行役員。
俺の名前は一番下に、小さく書かれていた。
《予備 山田》
たぶん使われない。
そう思って安心していた。
バトル開始
コンペ当日。
会場には両社の社員が向かい合って座った。
中央には審判。
両脇には総務部と人事部。
移籍が決まった社員を、その場で処理するためである。

「それでは、第一戦を開始します」
先鋒戦。
うちの主任が負けた。
「本日より株式会社先送り精密機構で頑張ります」
次鋒戦。
課長が負けた。
「以前から御社の社風には魅力を感じていました」
中堅戦。
技術マネージャーが負けた。
「向こうの方が最新のパソコンを使えるので」
全員、順応が早かった。
こちらのデッキは急速に薄くなり、相手側には見覚えのある顔が増えていく。
先ほどまで隣にいた上司が、今は相手チームの後ろで腕を組んでいる。
「山田。こちらの次の戦術を教えろ」
「まだ退職手続きも終わっていませんよね?」
「カード上はすでに敵だ」
部長まで敗北した。
執行役員も倒された。
いよいよこちらには、ほとんどカードが残っていない。
相手側には、こちらから奪われた社員がずらりと並んでいた。
審判がデッキを確認する。
「平常異常システムズ、残り一枚です」

部長だった男が、相手側から俺を指さした。
「山田。出ろ」
「さっきまで上司だった人に言われたくありません」
「今は敵の部長だ」
元から部長だったのか、移籍先でも部長なのか分からない。
相手の大将、氷室部長が静かに立ち上がった。
「次は彼ですか?」
全員の視線が俺に集まる。
使われないはずの予備カード。
俺は震える手で名刺を取り出した。
最弱カード
「株式会社平常異常システムズ、営業二課の山田です」
名刺を差し出す。
《営業二課 山田》
攻撃力:300
防御力:200
特殊能力:緊張すると声が裏返る
会場が静まり返った。
相手側から、小さな笑いが漏れる。
元同僚たちも気まずそうな顔をしていた。
氷室部長は名刺を出すことすらせず、俺を見た。
「棄権しても構いません」
「棄権したらどうなりますか?」
「弊社のデッキに加わってもらいます」
「負けても同じですよね?」
「はい」
逃げ道がなかった。
だが、氷室部長の顔を見ているうちに、以前どこかで会ったことを思い出した。
半年前の展示会。
会場の隅で一人、薄いコーヒーを飲みながら、ぼやいていた人だ。
「氷室さん」
「何ですか」
「以前、展示会でお会いしましたよね」
氷室部長の表情がわずかに変わる。

「覚えていたのか」
「はい。最近は、どの会社も同じような提案ばかりだと話していました」
「……確かに言った」
「会場のコーヒーも薄いと言っていました」
「それも覚えていたのか」
「そちらの方が長く話していましたから」
会場の空気が少し緩んだ。
俺は続けた。
「あと、娘さんが就職活動中だとも言っていましたよね」
氷室部長の表情が、急に普通の父親になった。
「娘のことまで覚えていたのか」
「かなり心配そうでしたので」
俺は氷室部長の名刺を見た。
強い役職。
高い攻撃力。
豪華な特殊能力。
だが、そこに娘の就職を心配する父親とは書かれていない。
「会社同士では敵かもしれません」
俺は言った。
「でも、コンペが終わったあとに一緒に働くのは人間です」
「……」
「誰が強いカードなのかではなく、誰と仕事をしたいのかで決めませんか」
その瞬間、俺の名刺が光った。
《営業二課 山田》
攻撃力:不明
防御力:不明
特殊能力:相手を肩書きではなく人として見る
追加効果:カードバトルを普通の会話に戻す
会場から光が消えた。
役職も、攻撃力も、特殊能力も見えなくなった。
ただ、名刺を持った会社員たちだけが残った。
氷室部長はしばらく黙ったあと、自分の名刺を机に置いた。
「私の負けです」
会場がどよめいた。
氷室部長の名刺が宙に浮かび、こちらのデッキケースへ飛んでくる。
「本日より、平常異常システムズの氷室です」
「切り替えが早いですね」
「ルールですから」
すると審判が、ルールブックを開いた。
「大将カードを獲得した場合、その配下にあるカードもすべて勝者側へ移動します」
相手側がざわついた。
株式会社先送り精密機構に奪われていた元同僚たちの名刺が、次々と宙に浮かぶ。
主任が戻る。
課長が戻る。
技術マネージャーが戻る。
営業部長も戻る。

「ただいま」
「早かったですね」
「向こうの社員食堂だけは名残惜しい」
さらに氷室部長の部下たちまで、こちらのデッキへ移動してきた。
気づけば、うちの社員数はコンペ開始前の倍になっていた。
株式会社先送り精密機構側には、社長だけが残された。
「社員を返してもらえませんか」
うちの社長は静かに首を振った。
「ルールですから」
翌朝
会社は大混乱だった。
一晩で社員が倍になったため、座席が足りない。

パソコンも足りない。
社員証も名刺も間に合わない。
元ライバル会社の社員たちは、廊下や休憩室で仕事を始めた。
氷室部長は、うちの営業戦略部長に就任した。
元々その席にいた部長は、一度株式会社先送り精密機構へ移ったものの戻ってきたため、営業戦略副部長になった。
ポストを一つ増やして解決した。
人事とは、だいたいそういうものである。
俺の名刺にも、新しい能力が追加された。
《営業二課 山田》
特殊能力:相手を肩書きではなく人として見る
追加効果:相手チームの大将を倒すと、組織ごと獲得する
急に危険な能力になった。
それからも、会社同士のカードバトルは続いた。
新しい社員を獲得すれば、デッキが強くなる。
優秀な社員を奪われれば、デッキが弱くなる。
役職を上げればカードの能力値が上がり、資格を取らせれば特殊効果が付く。
社員たちは、会社への所属を繰り返しながら、さまざまなデッキに配置されていく。

俺たちは会社に入っていると思っていた。
会社のために働き、会社に守られ、会社に所属していると思っていた。
だが、この世界では順番が逆だった。
会社が人を所有しているのではない。
人というカードを集め、並べ、組み合わせ、戦わせるために会社が存在している。
社名も、理念も、組織図も、すべてはカードを並べる枠にすぎない。
会社とは結局、カードを配置するためのデッキである。

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