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大女優「神宮寺麗華」

神宮寺麗華は、大女優である。

街を歩けば、人々が振り返る。

大きなサングラス。つばの広い帽子。風のない場所でもなびく純白のロングコート。背後にはマネージャー、付き人、メイク担当、スタイリスト、なぜか専属の照明スタッフまで従えている。

コンビニに水を買いに行くだけでも、まるで国際映画祭のレッドカーペットだった。

自動ドアが開くと、麗華は一度立ち止まり、店内を静かに見渡す。

「ここにも、人間の営みがあるのね」

そして、常温のミネラルウォーターを一本だけ購入する。

支払いは付き人がする。

麗華は金額を見ない。

大女優だからだ。

すべてが大女優

彼女の言動は、何をしても意味深だった。

レストランで料理を一口食べれば、窓の外を見ながら、

「味とは、記憶なのね」

と言う。

タクシーが渋滞に巻き込まれれば、

「人生も同じ。止まっているように見えて、少しずつ進んでいるの」

と言う。

スマートフォンの充電が切れれば、

「今は、誰ともつながるべき時ではないということね」

と言って、そのまま三時間連絡が取れなくなる。

ただ充電を忘れただけなのだが、周囲は誰も指摘しなかった。

大女優だからだ。

交流関係も大女優

麗華の交友関係は華やかだった。

世界的映画監督と食事をし、海外の有名俳優から誕生日に花が届き、皇室御用達の料理人が自宅で味噌汁を作る。

毎年開かれる彼女の誕生日会には、俳優、歌手、文化人、スポーツ選手、財界人が集まった。

誰もが麗華との共演を夢見ていた。

しかし、実際に共演した俳優たちは、少し困った顔でこう語る。

「共演というか……ずっと床に寝ていたので」

「目を合わせるシーンはありませんでした」

「僕が部屋に入った時には、もう亡くなっていました」

そう。

神宮寺麗華は、死体役専門の女優だった。

役はすべて死体

麗華が演じるのは、必ず死体だった。

刑事ドラマでは、事件現場の第一発見前の死体。

サスペンス映画では、物語の鍵を握る死体。

医療ドラマでは、救命処置が間に合わなかった死体。

時代劇では、斬られた後の死体。

恋愛映画では、主人公の過去に深い影響を与えた死体。

学園ドラマでは、校舎裏で発見される用務員の死体。

子ども向けヒーロー番組では、怪人に襲われた研究所職員の死体。

動物映画では、なぜか森で倒れている貴婦人の死体。

セリフはほとんどない。

出演時間も短い。

だが、エンドロールでは必ず特別出演だった。

死体にも役作りがある

麗華は、死体役だからといって手を抜かなかった。

台本を百回読み込み、死に至るまでの人生をノートに書き出す。

家族構成。

好きな食べ物。

初恋の相手。

最後に見た景色。

死ぬ直前に何を後悔したのか。

画面には一切映らない設定まで、徹底的に作り込んだ。

撮影前には一週間、人との会話を断つ。

食事は白湯と豆腐だけ。

自宅の大理石の床に横たわり、毎日六時間、瞬きをせずに天井を見つめる。

マネージャーが心配して声をかけると、麗華はゆっくり目を開く。

「今、役が生き始めたところよ」

死体役なのに。

自宅も大女優

麗華の自宅は、都内の高台にある大豪邸だった。

門から玄関まで車で三分。

玄関ホールには巨大なシャンデリア。

リビングには海外から取り寄せたアンティーク家具。

庭には噴水とバラ園。

地下にはホームシアター。

そして一番広い部屋は、死体役の練習室だった。

床材だけで十二種類ある。

フローリング。

畳。

コンクリート。

砂利。

雪。

湿った土。

事件現場に合わせ、最適な倒れ方を研究するためだ。

壁には過去に演じた死体の写真が並んでいる。

目を開けた死体。

目を閉じた死体。

うつ伏せの死体。

仰向けの死体。

椅子に座ったままの死体。

浴槽に浮かぶ死体。

麗華は時々、その写真を眺めながらワインを傾ける。

「若かったわね」

写真では全員死んでいる。

ペットも大女優

麗華は、白い長毛種の猫を飼っていた。

名前はオスカー。

血統書付きで、専属トリマーと専属獣医がいる。

オスカーの食事は、麗華の食事より高い。

来客があると、オスカーは部屋の中央まで歩き、ゆっくりと横になる。

微動だにしない。

麗華は満足そうに言う。

「この子、私の芝居を見て育ったの」

オスカーも死体のように眠るのが得意だった。

ある日、麗華とオスカーがリビングで動かなくなっているのを見た新人の家政婦が、救急車を呼んだ。

二人とも昼寝だった。

大女優の撮影現場

麗華が現場に入ると、空気が変わる。

スタッフ全員が立ち上がり、監督が自ら挨拶に来る。

用意される楽屋は主演俳優より広い。

花束が並び、高級フルーツが置かれ、室温は一度単位で管理される。

しかし撮影が始まると、麗華は廊下の隅に倒れる。

刑事役の若手俳優が走ってくる。

「被害者を発見しました!」

カメラが麗華を映す。

三秒。

撮影終了。

監督が叫ぶ。

「カット! 素晴らしい!」

スタッフから拍手が起こる。

麗華はすぐには起き上がらない。

死者が監督の声ですぐ起きるのは不自然だからだ。

五秒ほど間を置き、付き人に手を借りて静かに立ち上がる。

「今の死には、少し希望が残っていたわ」

監督は意味が分からなかったが、

「なるほど」

とうなずいた。

大女優だからだ。

唯一の主演作

そんな麗華にも、一度だけ主演映画の話が来た。

タイトルは『静かなる証言者』。

豪華キャストをそろえた、製作費百億円の国際サスペンス超大作だった。

麗華は物語の中心人物。

世界中の俳優たちが、彼女を巡って争う。

撮影期間は一年。

海外ロケは十か国。

麗華はポスターの中央に大きく写っていた。

だが、映画開始三分で殺された。

残りの二時間二十七分、麗華はずっと豪邸の床に横たわっていた。

時々、捜査の都合で場所を移動させられた。

それでも映画は大ヒットした。

評論家は絶賛した。

「そこに横たわっているだけで、物語を支配している」

「沈黙の演技が雄弁だ」

「彼女の死体には、人生そのものがある」

麗華は世界的な映画賞で主演女優賞を受賞した。

授賞式で、麗華は金色のドレスをまとい、ゆっくりと壇上に上がった。

会場中が立ち上がって拍手を送る。

麗華はトロフィーを胸に抱き、涙を浮かべた。

「私はこれまで、多くの役を生きてきました」

会場が静まり返る。

「そして、そのすべてで死んできました」

再び大きな拍手が起こった。

「女優とは、役として生きることではありません。役として、どう死ぬかです」

誰も意味は分からなかった。

だが、全員泣いていた。

大女優だからだ。

今日も大女優

授賞式の翌日。

麗華は朝五時に起き、白湯を飲み、バラ園を散歩し、専属運転手の車で撮影所へ向かった。

新しい作品は、二時間ドラマだった。

役名は「身元不明の女性」。

出演時間は四秒。

衣装はジャージ。

場所はゴミ捨て場の横。

麗華は台本を胸に抱き、監督に尋ねた。

「この女性は、最期に空を見ましたか?」

監督は台本を確認した。

そこには何も書かれていなかった。

「たぶん、見たと思います」

麗華は静かに目を閉じた。

「では、その空を抱いて死にます」

撮影が始まった。

薄汚れたゴミ袋の横で、麗華は完璧な角度で倒れていた。

通りかかった刑事が言う。

「死後、三日は経っているな」

カメラが麗華の顔を映す。

四秒。

カットの声と同時に、現場から盛大な拍手が起きた。

神宮寺麗華。

姿も、言葉も、暮らしも、交友関係も、ペットも、すべてが大女優。

そして今日も彼女は、誰よりも華やかに死んでいる。


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