ディスクを発明した国が、ディスクを葬った——ソニーが"物理"を捨てた日、秋葉原の棚が遺跡になる
日本は、世界で最後まで「CDショップ」が生き残っている国です。
そしてその日本で生まれた企業が、ゲームディスクの死刑宣告を出しました。
2026年7月1日、ソニー・インタラクティブエンタテインメントが公式ブログで発表した内容は、世界中のゲーマーに衝撃を与えています。2028年1月以降、すべての新作PlayStationゲームのディスク生産を終了する。さらにPS3とPS Vitaのオンラインストアも2027年中に閉鎖される予定です。
PlayStationの公式アカウントがこのニュースを投稿すると、数時間で220万ビューを突破しました。コメント欄は真っ二つに割れています。「時代の流れだ、当然だろう」という声と、「You will own nothing(お前たちは何も所有できなくなる)」という怒り。英語圏で広がるこのフレーズは、デジタル化がもたらす"所有権の消滅"への恐怖をそのまま映しています。
『バルダーズゲート3』で知られるLarian Studiosの出版ディレクターは、「genuinely heartbroken(心底悲しい)」とSNSに投稿しました。インディーゲーム専門のLost in Cultも「物理メディアの美しさを守りたい」と声明を出しています。ゲームを作る側の人間ですら、この決定を歓迎していません。
思い出してください。1994年、初代PlayStationが世界を変えたのは、CD-ROMを採用したからでした。任天堂がカートリッジにこだわる中、ソニーはディスクという「安くて大容量の未来」を選び、ゲーム産業の覇権を握った。
32年後、その発明者が、自らの発明を葬ります。
世界最後のCD大国
日本の音楽市場は、海外から見ると異次元です。
年間のCD生産枚数は約1億3,400万枚。レコード(アナログ盤)の売上は6年連続で伸びています。Spotifyが世界を席巻する時代に、日本の音楽ファンはいまだに「銀色の円盤」を買い続けている。
なぜでしょうか。
答えのひとつは「特典商法」にあります。日本のCDには、握手会の参加券、ランダムに封入されるフォトカード、初回限定のブックレットなど、「ディスクの中身以外の価値」が詰め込まれています。アイドルグループのファンが同じCDを10枚、20枚と買うのは、握手券のためです。英語圏では「こんなの音楽の売上じゃないだろう」と揶揄されることもありますが、日本ではれっきとした消費文化として成立しています。
もうひとつの理由は、「obi(帯)」と呼ばれる日本独自のパッケージ文化です。CDやレコードの背に巻かれる細い紙の帯——海外では"obi strip"として知られ、コレクターの間では帯付きの日本盤にプレミアム価格がつきます。帯があるかないかで、同じアルバムの中古価格が2倍以上変わることも珍しくありません。
この国では、モノを手にする行為そのものが消費の快楽になっています。ジャケットを眺め、帯のキャッチコピーを読み、棚に並べる。英語で言えば"the joy of ownership"——所有することの喜びが、まだ日常の中に息づいている国です。
FAXがオフィスで現役で、ハンコ(印鑑)が契約書に押され続ける国。デジタル化に対する日本社会の独特な距離感は、合理性の欠如ではありません。「触れられるものへの信頼」とでも呼ぶべき、文化的な根の深さに由来しています。
そんな国で、ソニーだけが「未来」に走りました。
秋葉原——世界のゲーマーが巡礼する"遺跡"
東京・秋葉原。かつて「電気街」と呼ばれたこの街は、いまや世界中のレトロゲームコレクターにとっての聖地です。
Super Potato(スーパーポテト)。ビルの3階から5階まで、壁一面に並ぶファミコン、スーパーファミコン、セガサターンのカートリッジとディスク。BEEP(ビープ)では、1980年代のPC-8801用ゲームが真空パックされて売られています。Surugaya(駿河屋)のショーケースには、未開封の限定版が数万円の値札をつけて鎮座している。
海外のゲームコレクターにとって、これらの店は「博物館であり、宝探しの現場であり、礼拝堂」です。
じつは日本のレトロゲーム市場には、CIB(Complete In Box)という独特の価値観があります。箱、説明書、カートリッジ(またはディスク)がすべて揃った「完品」に、海外では考えられないほどの高値がつく。日本のゲーマーは、30年前のゲームの箱すら捨てずに保管していることが多いのです。この几帳面さが、世界最高品質の中古ゲーム市場を支えてきました。
「monozukuri(ものづくり)」——日本語で「モノを作ること」を意味しますが、単なる製造とは違います。素材の選定から仕上げまで、一切の妥協を許さない姿勢を指す言葉です。「kodawari(こだわり)」——英語では"obsessive attention to detail"に近いでしょうか。ゲームのパッケージデザイン、説明書のレイアウト、ディスクの印刷面のアートワーク。日本のゲームメーカーは、「遊ぶ前に手に取る瞬間」まで含めて作品だと考えてきました。
その「棚」が、いま遺跡になろうとしています。
新作ディスクの供給が止まれば、秋葉原の店頭は過去の在庫だけで回ることになります。もちろんレトロゲーム専門店は今後も存続するでしょう。でも「最新作のディスクを買いに行く」という行為そのものが、日本からも消えていく。
この先の記事では、「You will own nothing」が現実になった瞬間——サーバー停止でゲームが永久に消滅した具体的な事件、PS3/Vitaストア閉鎖で失われるゲームライブラリの規模、そしてAIブームがゲーム機の価格をどこまで押し上げているのか、その数字を明かしていきます。
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"所有"が消える日——You Will Own Nothing
デジタル専用の世界には、ひとつの致命的な欠陥があります。サーバーが止まれば、すべてが消える。
2014年、小島秀夫が手がけたホラーゲーム『P.T.(Playable Teaser)』が配信停止になりました。サーバーからダウンロードできなくなった瞬間、このゲームは「存在しないもの」になった。意外と知られていませんが、すでにダウンロード済みのPS4本体には、いまだに中古市場でプレミアム価格がついています。ゲーム本体ではなく、「ゲームが入ったハードウェア」に値段がつくという、デジタル時代の皮肉です。
『Scott Pilgrim vs. The World: The Game』も同じ運命をたどりました。ライセンス契約の期限切れにより配信が終了し、数年間にわたって合法的にプレイする手段が完全に消えたのです(のちに復活しましたが、その保証はどのゲームにもありません)。
2027年中に予定されているPS3とPS Vitaのオンラインストア閉鎖は、この問題をさらに大規模にします。PS3は2006年の発売から20年。その間に配信されたダウンロード専用タイトル、追加コンテンツ、体験版——その多くが、ストア閉鎖とともに二度と入手できなくなります。
ここで見落とされがちな法的事実をひとつ。デジタルでゲームを「買った」とき、あなたが手に入れたのはゲームそのものではなく、「遊ぶ権利(ライセンス)」です。利用規約には、サービス提供者がいつでもアクセスを停止できると書かれています。ディスクなら棚に置いておけば10年後でも遊べる。デジタルでは、その保証がどこにもありません。
中古市場への影響も見逃せません。日本のゲーム中古市場は、ブックオフ、ゲオ、駿河屋といった全国チェーンが支えてきました。ディスクがなくなれば、「安く買って遊んで、飽きたら売る」という循環が断ち切られます。経済的に余裕のない学生やファミリー層にとって、中古ゲームは「ゲーム文化への入り口」でした。その入り口が、静かに閉じようとしています。
AIがゲーム機を食べている
ソニーがディスクを捨てた2026年、ゲーム業界にはもうひとつの異変が起きています。AIが、ゲーム機の値段を押し上げているのです。
Nintendo Switch 2は2025年の発売以来、約2,000万台を売り上げました。数字だけ見れば大成功です。でも任天堂の株価は発売後に約40%下落し、生産計画は30%削減されています。
原因は、AIサーバー向けメモリチップとの資源争奪にあります。ChatGPTやGeminiを動かすAIデータセンターは、大量のDRAM(高速メモリ)を必要とします。同じDRAMがゲーム機にも使われるため、AI需要が爆発するとメモリチップの価格が高騰し、ゲーム機の製造コストが跳ね上がる。Switch 2の本体価格が5万円(約330ドル)を超えた背景には、この構造があります。
ソニーも無関係ではありません。ソニーの光ディスク製造ラインは、将来的に光学マイクロレンズ——AI半導体の製造に使われる精密部品——の生産に転用される可能性が報じられています。ゲームのディスクを作っていた工場が、AIチップの部品を作る工場に変わる。これは単なるリストラではなく、産業構造そのものの転換です。
日本では、ソフトバンクグループがAIデータセンターに10ギガワット規模の電力を確保する計画を進めています。10ギガワットとはどのくらいか。東京都の一般家庭約300万世帯分に相当します。AIの「電気代」が社会インフラを圧迫する一方で、一般消費者はゲーム機の値上がりという形でAIブームの「副作用」を受けている。
ゲーマーが払う代償は、ディスクの消滅だけではありません。ゲーム機そのものが、AIに資源を奪われて高くなっていくのです。
日本は"逆行"できるか——レトロブームという抵抗
興味深いことに、日本ではいま「古いもの」への回帰が加速しています。
「昭和レトロ」というトレンドをご存じでしょうか。1960〜80年代の日本——喫茶店の赤いビロードの椅子、ホーロー看板、クリームソーダ。20代の若者たちが、自分が生まれる前の時代の美学に惹かれています。渋谷や下北沢には昭和風の喫茶店が次々とオープンし、SNSでは「#昭和レトロ」のハッシュタグが数百万件の投稿を集めています。
じつはこれ、ゲームに限った話ではありません。たまごっちが復活しました。1996年に社会現象を起こした卵型の電子ペットが、2020年代にスマートウォッチ型として再登場し、若い世代に売れています。フィルムカメラの人気も急上昇中で、富士フイルムの「写ルンです」——英語圏では"disposable camera"に近い存在——は海外観光客の定番土産になりました。レコードの売上が6年連続で伸びているのも、この「デジタル疲れ」の文脈に位置づけられます。
ゲームの世界でも「保存」の動きが活発化しています。日本のゲーム保存団体は、過去のタイトルをアーカイブする活動を続けています。エミュレーション——古いハードウェアをソフトウェアで再現する技術——の法的位置づけも、少しずつ議論が進んでいるところです。2024年に米国でゲーム保存のための著作権例外が一部認められたことは、世界的な潮流の変化を示しています。
ただ、保存活動には限界もあります。パッケージのアートワーク、説明書の手触り、ディスクを取り出す瞬間の「儀式」——これらはデジタルでは再現できません。日本語で言う「手触り感(てざわりかん)」、英語なら"tactile experience"。ゲームを「体験」として成立させていた要素の多くが、物理メディアとともに失われていきます。
レトロブームは「抵抗」ではあっても、「代替」にはなりません。過去を愛でることと、未来に物理メディアが存在し続けることは、まったく別の話です。
棚が空になった後に残るもの
1994年の初代PlayStationから2028年の最後のディスクまで、34年間。
日本のゲーム産業が世界に届けたのは、ソフトウェアだけではありませんでした。箱を開ける興奮、説明書を読む期待、ディスクをトレイに載せる儀式、棚に並べる満足。「ゲームを遊ぶ」の前後にある、すべての物理的な体験——それこそが、日本から世界に輸出された文化でした。
Larian Studiosの出版ディレクターが「心底悲しい」と書いたのは、ビジネスの話ではありません。ゲームを「工芸品」として世に送り出す喜び——パッケージを設計し、マニュアルを書き、ディスクのレーベル面にアートを刷る。その一連のものづくりが終わることへの喪失感です。
秋葉原のSuper Potatoの棚は、10年後も埋まっているでしょう。ファミコンのカートリッジは、むしろ価値が上がるかもしれません。でも「新しいディスクが入荷する」という未来は、もうない。棚は更新されなくなり、やがてショーウィンドウは琥珀のように時間を閉じ込めた展示物になっていきます。
10年後、秋葉原のビルの窓に並ぶのは何でしょうか。AIロボットのデモ機か、VRヘッドセットの体験コーナーか。それとも、埃をうっすらかぶったPlayStation 5のパッケージが、「かつてゲームには"かたち"があった」ことを静かに証言しているのか。
ディスクを発明した国が、ディスクを葬った。
だが「棚に並べた記憶」は、サーバーと違って、停止しません。
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