幸せなのは私のはずなのに、楽しそうなのは自己破産した弟だった。
人生が終わったと思っていた
私には20代後半で自己破産した弟がいる。
理由は、事業に失敗したわけでも、大きな夢に挑戦したわけでもない。
収入に見合わない生活を続けた結果だった。
正直、自業自得だと思う。
自己破産をすれば、しばらくはローンも組めない。
クレジットカードも持てない。
携帯電話の分割購入も難しい。
車も簡単には買えない。
現金中心の生活になる。
私なら、「人生終わった」と思う。
だから、弟もそうだと思っていた。
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ところが、弟は誰よりも楽しそうだった
ところが、現実はまったく違った。
弟はいつも笑っている。
彼女もできた。
お金はないはずなのに、彼女とスマホゲームやガチャガチャをして一喜一憂している。
もちろん、私の前だけ明るく振る舞っている可能性もある。
でも、それを差し引いても、人生を楽しんでいるように見える。
そして、不思議なことに周りの人も同じことを言う。
「弟さんの方が人生楽しそうだね。」
その言葉を聞くたびに、私は複雑な気持ちになる。
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幸せなのは私のはずなのに
一方の私はどうだろう。
裕福ではないが、安定した収入がある。
結婚もした。
家もある。
世間一般で言えば、「幸せな人生」に近いのかもしれない。
もちろん、自分が不幸だとは思っていない。
感謝すべきものもたくさんある。
でも、「人生を楽しんでいるか」と聞かれると、自信を持って「はい」とは言えない。
なぜだろう。
幸せと、楽しいは違うのだろうか。
私は幸せではある。
でも、弟の方が楽しそうに見える。
この違いは何なのだろう。
生まれ持った性格なのか。
考え方なのか。
それとも、一度どん底を経験した人だからこそ、目の前の小さな幸せを楽しめるようになるのだろうか。
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幸せとは、何を持っているかではないのかもしれない
最近、こんなことを考える。
人生には二つの道がある。
安定した平坦な道。
山あり谷ありの道。
私は前者を選んできた。
後悔はしていない。
でも、平坦だからこそ見えない景色もあるのかもしれない。
だからといって、今さら山あり谷ありの人生を選ぶ勇気もない。
結局、答えはまだ出ていない。
ただ、一つだけ確かに思うことがある。
幸せとは、家やお金や肩書きだけでは測れない。
もし測れるのだとしたら、それはきっと──
「今日も楽しかった」と笑って眠れる日が、どれだけあるか。
その物差しで考えると、今の私は弟に負けている気がする。
だから今日も私は、自分に問いかけている。
本当の幸せって、何なんだろう。
