ロジックに逃げる癖と、それでも優しく書きたい願い
余白を埋めてしまう思考の癖
考えすぎて、言葉にできなくなるときってありませんか?
余白のある優しい文章を書きたいと思っているのに、気づけば思考が暴走してしまっている。
「なぜ? なぜ?」と答えを探し続けて、感情の手前で言葉が止まる。
そんな自分を見て、これはきっと、長年かけて身につけた“防衛本能”なんだと思いました。
未知への恐れとマッピング欲求
思考することで、見えないものを見えるようにしてきた。
見えないものは、怖かったから。
だから言語化して、理解して、地図をつくって、安心してきた。
でも、未知って、本当に怖い。
恐怖が生む思考と行動の駆動
怖いから考える。
怖いから、誰かの深層を読み解こうとする。
怖いから、明日を設計しておく。
そうやって、自分を守ってきたんだと思う。
「怖がりな自分」への再評価
たまにふと思う。
「もし何も怖くなかったら、自分は学ぼうと思わなかったかもしれない」って。
ただ日々を、何となく、流れるままに生きていたかもしれない。
だから、繊細で、ビビりで、怖がりなこの感じも、悪くないなって思えた。
引用:思考と安心への飢え
最近読んだ小説のセリフが、頭に残っている。
「俺は分かってもらいたいんじゃない。俺は分かりたいのだ。」
「分かりたい、知っていたい、知って安心したい。分からないことが怖いから。」
思考=恐怖の地図作り
この気持ち、少し分かる気がする。
思考とは、結局「恐怖のマッピング」なのかもしれない。
安心したくて、見通しを持ちたくて、言葉にしている。
それが悪いとは思わないけれど、
そうして作られた文章が、誰かにとって余白が無さすぎるが故の過剰言い切りにより「怖いもの」に見えてしまうこともあるのかもしれない。
出会った「余白のある文章」
だから最近、「余白のある文章」に惹かれる。
そこには正しさより、やさしさがある。
断言せず、決めつけず、ふわりと空気が置かれていて。
読み手が自分のタイミングで触れられるような、静かな呼吸がある。
優しさとしての余白
そういう文章は、なんだか優しい。
読んでいて、包まれるような気がする。
小さいころ、眠る前に握っていたブランケットのような、温度のある言葉。
正しさと優しさのはざまで
正しさだけじゃ、人は満たされない。
優しさだけでも、届かないことがある。
でもその間に、何かあるんじゃないかって、今は思ってる。
余白を持ちながらも、怖さや誠実さをにじませるような、そんな文が書けたらいいな。
みなさんは、どんな文章に安心しますか?
変な時間ばかりの投稿ですが、これでも普通に仕事をしてます笑
ui・ux系の新卒のエンジニアを今をしているのですが将来的にはもっと人の気持ちに根ざしたことをしたいなーと思っています。。
