よそでは言えないことを…
最初に思いつき一つ。
結論・パークライフ(吉田修一)→パンツ盗んだと誤解された話
今日セルフケアサポートグループで、来週仲間のアニバーサリーのお祝いのためお菓子が必要という話になりました。
で、お菓子担当の人が予算とか決めたのに打ち合わせが終わって帰る段になって現金がろくにないと言いだして、仕方ないので5千円渡しました。
あとから聞いたらその人はスリップして今日もまた咳止め飲んできたっていうし、本来はスリップの助長してしまったかもしれないと思うべきなんだろうけど、正直私は聖人にはなれません。
忘れてたけど2年前、仲間が少しずつ集めた献金をそいつは盗んで逃亡し、連絡にも一切応じなかった前科があったのです。
で、そのアニバーサリー終わったら休息入院するとか言っててその理由が『デイケアで嫌な人がいるから』。
こうやって自分で自分の居場所をぶち壊していく人っているよなあという例を思い出しながら、わたしはなんで人にいい顔ばかりするんだろうと思いました。
今日だって「じゃあ、君の手持ちのお金で収まる範囲で買おう!」って言えばよかったのになー。
最近曙橋の大角玉屋とか、洋菓子から焼き菓子まで何種類ものお菓子を用意する別のグループが多いので、ついうちもちょっといいの出さないと…みたいな感じになったのですが、心の中で彼を責めかけたところ私も自分のアニバーサリーのときにルスルスのクッキーを松屋で買ってきたのを思い出し、人のこと言えないですね。
自分のアニバーサリーはパーッと行きたいからオーボンヴュータンの焼き菓子ふるまって、とかまじで思ってた。恥ずかしくなる。
ていうか成城石井どころかカルディでキャンディ買ったので十分だよね、依存症のグループの会なんて。
そういうところが依存的っていうか…。
去年は確かヒカリエの中入ってるどら焼き屋だったなあと思い出しつつショボいお菓子は食べたくないし。(そのどら焼きは美味かった)
岸朝子の東京の手土産参考にして昔買ってたけど、高見えするお菓子で、他と区別したいとか…でもいまデパ地下だと5000円じゃろくな小分けのお菓子買えないよねえ、とかとか…(参加人数はそれなりに多い)。
そう、いつの間にかその沼にハマった自分が今いました。危ない危ない。
誰かのために選ぶギフトやおもてなしは、往々にして自分の見栄とかコントロール欲求が反映されたものが多いですよね。うれしい、喜ぶ顔が見たくって…と言っても商品券や現金送るわけもいかないし。
うちの叔母がまさにそう、誕生日になると送ってくるプレゼント、子供の頃は嬉しかったけど、高校生にもなると趣味とかはっきりしてくるから合わなくなってきました。
強烈に覚えてるのがヴィヴィアンウエストウッドの手袋です。
ひねくれたわたしは商社が入ってラコステのワニみたいになったオーブに興味はなしでした。コレクションライン以外興味なしみたいな。なんか「いらないから誰が使って」と言ったような。
いまとなると、胸が痛む。
祖母の葬式はコロナ禍だったから会えなかったし。
でまった、おじきが延命にこだわり胃ろうしてもう意識もないおばあさんの歪んだ顔は悲しかった。
その顔や萎縮した手を毒母がわざわざ西日本の辺境まで出向いて写真撮って、妹や私に送ってくるきちがいっぷり発揮。
妹は、泣きました。
一体、やすし師匠似のおじきはなんのため延命させているんだろう、すっげえエゴ…と正直思いました。
家族の善意がこっち向くと、ぶっ殺したいような抱きしめたいような。自分は優秀ではなくただのアル中だし、結局僕の子供の頃の残像見てるだけでしょって苦しくなっていました。期待に応えられなかった感がキツかった。
これは、私の実感ですが、ACの人は家からさっさと出たほうがいいね。それだけで変わる。
そういう人に限って実家住んでたりするから、共依存なのもわかるけど、どこかで踏ん切りつけないといけないと思いますよ。
毒親、って言葉あるじゃないですか。でも毒親がー毒親がーって言ってるうちに、いつの間にか毒親の当時の年齢超えていたり
(これも私の実感)。また子ガチャもありますからねえ。
で、やっぱ話が『依存』に戻ってしまうんだなこれが。
人は何かしら依存して生きているのですが、そのコントロール障害のことを依存症といい、近年ではアルコール摂取コントロール障害といいます(これは、あまり浸透しなかった気がする)。
私は、日本のミーティング出るときは『アディクトのP15です』外国人の多いミーティングでは『Hi my name is P15.I'm an addict』って言う。
この本来の自分より先にアディクションが来ることが許せない気してたけど、自分の思うがままに振る舞っていたら人生一旦終わったのは事実。
その無力さ、というより誰もいなくなった喪失感といったところでしょうか、自分のちっぽけさをつい忘れて突っ走ってしまうところがあり、そういうことって周りも自分も大切にしてなかったなあ、と思うわけです。
施設に軟禁されたりもしましたが、そう、実は結構みんな仲良かったのです。
内緒で外出して酔っ払って自転車から落ちて、田んぼで亡くなった人とかいましたが。
砂浜でのお葬式は多分一生忘れないと思う。
異なる仏教系の信仰を持つ人もいましたが、垣根はありませんでした。長かったけど、人と通じあえる喜びを教えてくれたのってあそこだったかも。
や、これを文字にする日が来るとは。15年前は思ってもみなかった。
また自分の話ばかりしてしまいました…恐縮です。
でもあるのは海ばかりのあの街で、私は確かに暮らしていました。
