「十九人」のゆっちゃんと松永勝忢がM-1GPの準々決勝で披露した漫才が「笑いと怒り」の相反する感情を呼び起こした理由
こんにちは。大阪お笑い塾の代表の高田豪です。
今回は、奇抜な漫才で賛否わかれるコンビ十九人について解説いたします。
笑いと怒りを同時に生み出す漫才 十九人が準々決勝で示した極端な強度
十九人のゆッちゃんwと松永勝忢さんが、M-1グランプリ2024の準決勝で披露した漫才は、単なる賛否を超えて「笑い」と「怒り」という正反対の感情を同時に呼び起こしといいます。
2025の準々決勝では、ゆッちゃんwが登場するなり「「山がいっぱいあったら何て言ってますか?」と、唐突に言い放ち、戸惑いを生みました。
見慣れたわかりやすいお笑いの形ではない分、「何を見せられてるんだ!?」と戸惑う人は少なくなかったでしょう。
ファンとアンチの分離構造
どんなお笑い芸人であっても、注目度が高まるほど、ファンとアンチははっきりと分かれていきます。
これは人格や炎上体質の問題ではなく、お笑いという表現ジャンルそのものが持つ性質です。
笑いは共感によって成立するため、共感できない人が必ず生まれます。
「わからない笑い」が生む感情の転換
多くの場合、「このお笑い芸人の笑いがわからない」という感覚は、「自分にはセンスがないのではないか」という自己否定にはつながりません。
むしろ、「これは面白くないものを見せられている」という認識に変換されやすい傾向があります。
ここには、ある種の他責的な思考が含まれていますが、それは人間として自然な反応なのかもしれません。
理解できない名作が引き起こす不安
この構造は、お笑い以外の分野でも確認できます。
たとえばつげ義春さんの「ねじ式」のように、感性に大きく委ねられる作品ほど、理解できない人は「なぜこれが名作とされているのか分からない」という不安に陥ります。
その不安が、「納得できない」「認めたくない」という感情へと変わり、時に怒りとして表出します。
怒りの奥にある一次感情
心理学的に見ると、怒りは二次感情であり、その奥には悲しみや不安といった一次感情が隠れています。
十九人の漫才に対して怒りを覚えた人も、実際には「理解できないことへの不安」や「取り残される感覚」に触れさせられた可能性があります。
十九人が貫く極端な笑いのスタイル
十九人の漫才は、人を安心させる笑いではありません。
むしろ、人が普段は直視しない一次感情を刺激し、観客の感性を試すような極端なスタイルを貫いています。
その結果、ある人には強烈な快楽として、別の人には強い拒否感として立ち現れます。
分断を恐れないこと自体が戦略である
笑いと怒りを同時に生み出すということは、誰にでも受け入れられる安全圏から、意図的に外れているということです。
十九人は、人間の感情構造そのものに触れる笑いを武器にすることで、強烈な印象を残す存在となっています。
準々決勝で起きた感情の分断は、むしろ十九人が望むところなのかもしれません。
