書評『秘密の知識』デイヴィド・ホックニー

以下の内容紹介は2025年9月21日の投稿と同じ内容です。
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本書は3部からなりたつ。1部は、この2年をかけて考えた仮説を目に見えるかたちで表わしたもの。2部は、研究を進める間に目にとまった資料の抜粋を集めたもの。3部は、考えを深める過程で記したメモとエッセイ、ならびにマーティン・ケンプ、チャールズ・ファルコ、ジョン・ウォルシュ等の専門家とやりとりした書簡から選んだ。書簡はこの研究の日誌にも相当する。
わたしが提起する仮説は、15世紀初め以降、西欧の画家の多くが光学機器--鏡かレンズ、あるいはその組合せ--を用いて、実物の映像を得たこと。そして画家のなかにこうした映像を素描や油彩画の制作に用いた者もあり、世界を描写するこの新しい方法--新しい物の見方--はまもなく世の中に広まったというものである。多くの美術史家が、カメラ・オブスクーラを用いた画家の存在を指摘しており、その際にはカナレットとフェルメールの名がよく引き合いに出される。しかし光学機器がこのように広範に、また早い時期から使用されたと主張した例はないと思う。
1999年の早い時期にカメラ・ルーチダを用いてデッサンを試みた。アングルが19世紀初期に、発明されて間もないこのささやかな光学装置を用いたかもしれないと思い、それを確かめようとしたのである。ロンドンのナショナル・ギャラリーでアングルの肖像画展を見たおり、素描がきわめて小さいこと、それにもかかわらず不思議なくらい「正確」なのに驚く一方、好奇心を刺激された。それだけ正確にデッサンするのがどれほど難しいかは、身に沁みてわかっている。アングルはどのように描いたのか、考えてみた。その結果、この本を書くことになった。
作業にとりかかってみると、カメラ・ルーチダはじつに扱いづらい。モデルの実像を映写するのではなく、目に錯覚を起こさせる。頭を動かせば、なにもかも一緒に動いてしまうので、画家は「似姿」を捉えるために、目、鼻、口の位置をすばやく描きとめる術を学ばなければならない。じつに密度の濃い作業である。なんとか辛抱して、年末までこの方法をつづけてみた。学ぶことは実に多かった。光学機器を使うときには、写真撮影と同じように、照明によって出来ばえが大きく左右されることがわかったので、モデルの照明に気をくばるようになった。画家たち、たとえばカラヴァッジョとベラスケスがモデルの照明にたいへんに気を使っていること、またかれらの描く影の濃さにも気づかされた。光学機器は、強い照明を必要とする。照明が強ければ、影も濃くなる。わたしはますます好奇心を刺激され、作品を綿密に見つめるようになった。
画家の多くもそうだろうと思うが、絵画を見るとき、わたしはそれが「何を」言おうとしているかや、「なぜ」描かれたかと同じくらい、「どのように」描かれたかに興味を覚える(これらの問いがたがいに関連することは言うまでもない。)カメラ・ルーチダを自分でも苦労しながら使ってみて、絵の見方が変わったことに気づいた。カメラ・ルーチダを使って描いた絵の特徴が見分けられるようになり、驚いたことに、なんと古くは1430年代の画家の絵にも、それが見つかったのである。これが人目に着くようになったのは、20世紀も後半に入ってからだろうと思う。これに気づくには新しい科学技術、なかでもコンピューターの進歩が欠かせない。コンピューターのおかげで安い費用で高品質のカラー印刷ができるようになり、過去15年に美術書の水準は見違えるように高くなった(20年前ですら、図版の大半は白黒だった)。しかも今ではカラーコピー機と家庭用プリンターを使えば、だれでも質の良い複製画を安く作れるようになり、本来は何千マイルも離れたところにある作品を隣り合わせに並べて見ることも可能になった。わたしもアトリエでこれを試みたところ、すべてを一望のもとに見渡すことができた。絵をこのように並べてみて、初めて気づいたことがいくつかある。これには画家でないと、紙に絵を描くことを生業とする画家でないと気づかないと、自信をもって言える。美術史家は画家とくらべて実践、技巧と縁が薄いため、この点での不利は否めない。いずれにしろわたしが言いたいのは、画家は以前、光学機器の使い方を知っていたが、その知識は失われてしまったということである。
こうした考えを友人たちに説明し、話し合ってみたところ、オックスフォード大学で美術史を講ずるマーティン・ケンプ教授を紹介された。教授にはレオナルド、そして美術と科学の関連をテーマとする著書もある。教授は当初からわたしの目のつけどころに関心を示し、わたしの立てた仮説を、すべてとはいかないまでも、支持してくださった。ところが教授以外の人びとは、わたしの考えに激しく反発した。画家が光学機器を使うのは「ごまかし」であり、わたしの意見にしたがうと芸術家を天賦の才の持ち主とする考え方が成り立たなくなるのがお気に召さない。ここではっきりさせておきたいのだが、紙に絵を描くのは光学機器ではなく画家の手であり、それには非凡な技量を必要とする。光学器機を使ったからといって、絵を描くのが少しでも易しくなることはない。自分でも使ってみたから、わたしはそれがよくわかる。しかし600年前の画家にとっては、光学機器によって得られる映像は実在する世界を見すえ、それを鮮やかに表現する新たな方法と思えたろう。光学機器は画家に従来よりさらに生々しく、力強いイメージを得る術をあたえたかもしれない。画家が光学機器を使ったと指摘することは、かれらの業績を少しも貶めることにはならない。わたしには、そのためにかえってかれらの素晴らしさが際立つようにさえ思える。
このほかにも「そのことを伝える当時の文章でもあるのか?」、「レンズはどこにあるのか?」、「それを証拠立てる文献はあるのか?」などと問う人びともあった。これらの質問に即答はできなかったが、わたしは挫けなかった。画家は絵の描き方をひとに教えたがらない。現在の画家はそうだし、昔は違ったと思う理由もない。中世やルネサンス期のヨーロッパでは、神の王国に属する「秘密」を明かせば、妖術を使ったと責められ、火あぶりにもされかねなかった。後に、わたしの仮説を裏づける当時の文献が、実際に数多く存在することがわかった(文献の抜粋は2部に収録されている)。
世間では画家というと、たとえばセザンヌやファン・ゴッホのような偉人が、孤独な苦闘を重ねたすえに、世界を鮮烈に表現する新たな方法を見出してゆく姿を思い描く。しかし中世やルネサンスの画家には、こうしたイメージにはあてはまらない。それよりCNNやハリウッドの映画スタジオになぞらえたほうが、ぴったりする。画家は大きな工房を抱え、作業は難度によって分類されていた。工房には優れた才能の持ち主が集い、頭角を表わせば、直ちに昇格の声がかかる。世の中に画像といえば、こうした工房から送り出されるもの以外に何もない。親方は有力な上流社会の一員であった。画像は雄弁であり、画像には力があった。今でもそうである。
アングルとウォーホル、デューラーとカラヴァッジョがともに描いたリュート、ベラスケスとクラナッハといった具合に絵を対比させる試みを始めたころ、ギャリー・ティンタロウ氏からニューヨーク・メトロポリタン美術館が催すアングルのシンポジウムで講演するようお招きを受けた。そこでカメラ・ルシーダを用いたわたしの素描を加えて、講演に使うスライドの準備を調えた。わたしの理論を裏づけるのは絵そのものである。ただしその過程で学ぶことも多く、実践者としての経験にもそれなりの重みがあると感じた。講演の後、レン・ウェクスラーがニューヨーカー誌にわたしの理論を紹介してくれたおかげもあり、まもなく世界各地から手紙が舞いこみはじめた。ショックを受けたというひともいれば、非常に面白いと言ってくれるひともあり、自分でも似たようなたことに気づいたことがあると報せてくれたひともある。
これは大きなテーマだという気はすでにしていた。ニューヨーカーの記事に対する反響の大きさから、この問題に興味を抱くひとが少なからずいることもわかった。講演でスライドを見た聴衆の反応を見て、人びとを説得するにはわたしが絵画に見出した視覚的な証拠を添えるのが大切と考えた。それには本が最も適しているだろう。本なら好きな時に手にとれるし、映画やテレビのように相手に合わせずにすむ。本なら、途中で休んでよく考えてみることもできるし、必要なら前に戻って読み直すこともできる。わたしの考えは絵を見ていて思いついたことなので、説明も視覚を中心にしようと考えた(美術史家のロベルト・ロンギも指摘しているように、絵は一級の資料である)。本を書き進むうちに、デザインにも気を配る必要があることもわかってきた。作業を始めてから判明したことだが、その後にも重要な発見--絵に生じた光学的な歪み、そして凹面鏡も映像を結ぶことなど--が相次ぎ、作業が進むにつれて本の規模もふくらんらんで行った。
2000年2月、助手のデイヴィッド・グレイヴズとリチャード・シュミットの手を借り、カリフォルニアのアトリエの壁に絵のカラー・コピーを貼りつける作業にとりかかった。こうすれば西洋美術史の全体像が望めるだろうし、また本に使う絵を選ぶのにも好都合だろう。完成時にはコピーを貼った壁面の長さが20メートルを越え、北欧を上、南欧を下に、ほぼ年代順に500年を網羅することになった。

本の制作を進める間にも鏡とレンズの組合せを工夫して、ルネサンスの画家たちの使用法を再現する試みをつづけた。アトリエの訪問者は、カメラを携えたひともふくめ、だれもが鏡とレンズの投影する映像に夢中になった。電気をまったく使っていないので、なぜそこに映像があるのか不思議でならない。映像は明瞭で、彩りも鮮やか、しかも動く。光学に詳しいひとはほどんどなく、写真家も当てにならないことがわかった。中世のヨーロッパであれば、映しだされた「幻影」は、魔法のようにも思えただろう。今日でも、そう感じるひとは少なくない。
3月にレンがニューヨーカーに寄せた記事を読んで、チャールズ・ファルコがアトリエを訪ねてきた。チャールズからはその後まもなく熱心な、そうして洞察力に富んだ手紙が届くようになった。絵の中の「光学的産物」に基づくチャールズの詳細な計算は、わたしの説を裏づける科学的なデータを提供してくれた。その間も証拠--視覚的なもの、文献、科学的資料--は増えつづけ、いよいよ説得力を強めていった。
光学機器を使った画家もいれば使わなかった画家もいるのは明らかにしても、1500年以降はレンズと鏡を用いた映写に特有な色調、陰影、彩りの影響を受けていない画家はほとんど見あたらない。光学機器を直接に用いなかった画家としてはブリューゲル、ボッシュ、グリューネヴァルトの名が思い浮かぶ。しかしかれらも光学機器を使った絵を見てはいたろうし、映写された像そのものも目にしていたかもしれず(映像を目にするとは、映像を使うことにほかならない)、徒弟としては作品の模写に光学効果を利用したこともあったろう。ここでもう一度、光学機器が絵を描くのではないと強調しておこう。器械は絵を描かない。素描と絵画はひとの手によって作られる。わたしが言いたいのは、フェルメールのカメラ・オブスクーラ使用が証拠立てられた17世紀よりはるか以前に、画家は道具をもっており、それまで美術史には知られていなかった方法でそれを用いたということである。
この発見をきっかけに、さまざまな問題や疑問が浮上すると思う。ここでは答えをだしきれない問いもある。また、問いかけ自体まだ行われていないものもあるだろう。本書は過去、そして画家の秘密の技法だけをあつかうものではない。現在と未来、今日のわたしたちの映像、そしておそらくは「現実」そのものの見方も視野に入る。心の躍るような未来が待っている。
多くの人びとの協力、熱意、支援がなければ、本書は日の目を見ることはなかったろう。しかしその数はあまりに多く、また読者は先を急ぎたかろうから、ここに名を挙げるのは差し控える。謝辞は巻末になるけれども、その分、貴重な助力をいただいた方々に充分な礼を尽くせれば幸いである。
19ページ
目に見える証拠
21ページ
ここでは目に見える事実をもとに、わたしの考えを説明しようと思う。「あなたには、なにが見えているのですか?」と問うひとがあった。それをここでお見せしよう。時も所も違えて描かれた絵、ほぼ同じ時代の作品、ひとりの画家の描いた異なる絵を比べることになるだろう。次第に明らかになる時代の流れは、この項の終わりにまとめてある。
ロンドンのナショナル・ギャラリーにアングル展を見にでかけたのは1999年1月のことだが、じつに素晴らしい素描の肖像画に魅了された。顔の造作は不思議なくらい「正確」なのに、サイズが不自然なほど小さい。しかもモデルがどれをとってもアングルには一面識もない人びとだったこと(よく知ったひとであれば、それだけ特徴もとらえやすい)、そして筆の運びがたいへんに素早く、ほとんどは一日のうちに仕上げられていることにも驚かされた。わたしもこれまでに数多くの肖像画を手がけてきたので、アングルのようなデッサンをするのにどれくらい時間が必要かはよく承知しているつもりだ。あまりの見事さに呆気にとられた。「いったいどうやって描いたのだろう」。そう自問せずにいられなかった。
23ページ
左頁の図版はアングルが1829年に描いたルイ=フランソワ・ゴディノ夫人の肖像画の複製である。サイズも実物とまったく変わらない。この時期のアングルの代表作と見なされてはいないけれども、カメラ・ルーチダの使用をうかがわせる手がかりがいくつもあり、わたしの説を裏づけるにはとても有益である。カメラ・ルシーダは1806年に画家の便宜のために開発された道具で、主に画題の寸法を測るのに用いられる。
読者はこの先も度々「目で見て描く」ということばに出会うことになると思う。これは画家がモデルの前に坐り、手と目だけを用い、その他の道具はいっさい使わずに肖像画を描くことを指すわたし独自の用語である。画家は人物を見つめ、その似姿を紙やカンヴァスの上に再現しようと試みる。つまり目の前にあるフォルムを「手さぐり」して捉えようとする。
ところがこの素描に見るアングルの線は素早く、手さぐりしたようには見えない。フォルムはこのうえなく正確、そして精密をきわめる。アングルはカメラ・ルーチダを用いて婦人の姿を見、髪の形、目、鼻孔、口許(濃い翳に注意)の位置を紙に記して、まず頭部を描いたのだと思う。これには数分かかったろう。つづいて婦人を観察し、つまり目で見て描き、顔のデッサンを仕上げた。肖像の肌理の細かさからすると、これには1時間か2時間かかっている。それから、おそらく昼食をとった後に衣服を描いた。ただそれには、カメラ・ルーチダの位置をほんの少し動かさなけばならなかった。そこで婦人の頭が身体と比べて、とりわけ肩と手と比べて異様に大きくなった。衣服を画面に収めようとしてアングルがカメラを動かしたとすれば、倍率は少々変化したろうし、顔と身体の寸法が違う理由も説明がつく。頭部を8パーセント縮小してやると、身体とずっと釣り合いが良くなるところを見ても、実際このような経緯があったのだろうと思う。
25ページ
左はアングル。右はウォーホル。こうした素描にウォーホルがプロジェクターを使ったことは知っている。ウォーホルの線はいかにも跡を「なぞった」ように見える。この素描を見ているうちに、アングルが肖像画に描いた服にもよく似た特徴があることに気づいた。ウォーホルでは、ボウルの左の縁はくっきりと上から下に描かれているのに、そのまま底の輪郭をなぞるのではなく、ためらいもなく左に折れて翳を描いている。同じように、アングルでも左の袖口を描く線は「実物の形に沿って」動きそうなものなのに、そのまま襞につづいてゆく。
26ページ
このページに掲げた小さな素描3点は、それとは対照的に明らかに目で見て描かれている。線を手さぐりしたのは明らかで、ためらいの跡も目につく。「手さぐり」するのは心もとないからである。「正しい位置はいったいどこか?」とアングルは自問しているようだ。右図の袖(旧来の、目で見て描く方法による)と右ページの袖を見比べてみよう。こちらは自信たっぷりに、一本の線ですっきりと描かれている。手さぐりの様子はなく、これまたウォーホルの「なぞった」線によく似ている。鉛筆もかなりの速さで動いているようだ。線に速度があり、動きを追うこともできる。線には始まりと終わりがあるので、位置だけでなく経過した時間も表現する。写真をなぞった場合でも絵が元の写真(一秒の何分の一かの瞬間を留めるにすぎない)よりも長い「時間」をふくむのは、手でなぞるのに時間がかかるからである。
28ページ
カメラ・ルーチダとは言ってみれば、棒の先につけたプリズムがその前にある物の像を下の紙に映し出す仕掛けだが、これがなかなか扱いづらい。映像は実在しない。紙の上にあるわけではなく、あるように見えるだけである。ある一点からプリズムを覗くと、前にある物あるいは人と、下の紙を同時に視界に収めることができる。素描するのにカメラ・ルーチダを使うのであれば、自分の手と、紙に線を描く鉛筆も見える。ただ、これらが見えるのは正しい位置にいる本人だけであって、ほかのひとの目には見えない。かんたんに持ち運べて、どこにでも持って行けるので、カメラ・ルーチダは風景画には最適だ。それよりも、肖像画の方が難しい。のんびりしている余裕はない。目を動かせば、映像は消えてしまい二度と戻らない。腕の立つ絵描きは画題の特徴を示す勘どころを、素早く紙に描きとることができる。これは素描の名手が頭のなかで行う採寸と少しも変わらない。本来は長い時間のかかる作業を、早回しで行っていることになる。これがすんだところで、実物をとくと眺め、大枠に肉づけをほどこし、完全度を高めてゆく骨の折れる仕事が始まる。わたしも一年間カメラ・ルーチダを使い、何百枚もの肖像画を描いてみた。31ページのナショナル・ギャラリーの守衛さんたちの絵も、そのようにした描いたものである。
33ページ
肖像を素描するのにカメラ・ルーチダを用いたとすれば、アングルは油彩画にもなにかしら光学的な仕掛けを使ったのではないだろうか。たとえば、化学反応による写真が発明される15年前、1823年に描かれたルブラン夫人の絶妙な肖像画(32ページ)を見てみよう。織物の模様があまりに真に迫っているので、つい目を疑ってしまう。隣はセザンヌがカーテンを描いた習作だが、あきらかに目で見て描いたこの絵との違いの大きさも驚くばかり。こちらには手と目(そして心)が総動員されている。画像がどのように組み立てられたか、手にとるようにわかる。アングルの肖像画の中の織物も同じやり方で描かれたのだろうか。光学機器など使うはずはないと考えれば、これもやはり目で見て描いたと答えるしかない。しかしわたしには、とてもそうは思えない。襞、陰影、精妙な模様は織物のこみいった形状を克明に写して、「ぎこちなさ」をまったく感じさせない。これを「フリーハンド」で達成するには、このうえなく高度な観察と作画の技量を必要とする。また作業にはたいへんな時間がかかったはずだが、アングルのように引く手あまたの画家にとって、時間ほど貴重なものはなかった。作品制作の速度をあげる方策があれば、アングルはまちがいなくそれを利用したはずだ。なんといっても、アングルは生業として絵を描いたのである。長命なアングルは写真の出現にも立会い、晩年には写真を利用したという話も伝わっている。カメラ・オブスクーラの存在は知っていたろうし、それを使わなかったと考える方が不自然なくらいだ。ルブラン夫人の掛けた椅子から垂れる織物は、光学機器の助けなしにどうしても描けるものではない。模様が少しのずれもなく襞に寄り添う様子からすると、実物に対応する無数の点をひとつずつカンヴァスに写し取ったにちがいない。それを可能にする現実的な唯一の方法は、光学機器の助けを借りることである。
35ページ
アングルがなにかしらの光学機器を用いたのはまちがいないと思う。素描にはカメラ・ルーチダ、そして油彩画の精緻なディテールにはおそらくある種のカメラ・オブスクーラを利用したのだろう。それ以外に説明のつけようがあるとは思えない。しかし光学機器を用いたのはアングルが最初ではない。フェルメールはカメラ・オブスクーラを用いたとされる。光学機器に特有な効果が絵画に認められるので、そうした推論が成り立つのである。光学機器を使ったのはフェルメールが最初なのだろうか、それ以前に使ったひとがいるのだろうか。美術書やカタログにかたはしから目を通し、証拠捜しにとりかかった。するとそれまで気づかなかったことが、見えてきた。好奇心がふくらんだ。
36ページ
衣服が目に着くようになった。たとえばジョット作の婦人の全身像(1303-6年)は、細部を簡略化し、おおまかに描いている。ピサネルロは、それよりも「正確」にモデルの身体と衣服の線を追った。ところが1553年のモローニになると、たいへんに手のこんだ模様のドレスをとりあげ、襞のひとつも疎かにせず、仄かな光の照り返しや陰影にも細かく目を配り、どこをみても実物さながらの大胆なデザインを描きあげる。次の2ページにはこれと似た進展を示す例を掲げた。そこから新しい道具の利用が浮かび上がってくるのではないだろうか。
41ページ
手のこんだ織物をもうひとつ。ジョットとクラナッハの模様には襞の変化が描かれていないが、モローニの肖像画は、精緻な柄が波うつ布の複雑なかたちを忠実に追う。新しい道具が用いられているのだろうか。
