外来で「ビールと同じ量の水を」と言う理由
ビールと水を交互に飲まないと中身がこぼれるグラスの予約販売が、5日から始まりました。1万3750円。発送は9月中旬からです。コップ一杯の水に対する対価としては、なかなかの値付けになります。
開発したヤッホーブルーイングは、飲酒習慣のある20〜59歳636人への調査結果も出しています。アルコールで脱水が起こることを「知っている」人が75.6パーセント。飲酒時に「十分に水分をとれていない」人が75.0パーセント。知識の不足ではなく実行の不足だと自社で確認したうえで、説得ではなく物理的な強制に振った設計です。啓発の限界を分かっている作り方だと思います。
このグラスの背景として紹介されているのが、ビールの利尿作用です。開発に協力した肝臓専門医のコメントとして、ビールを1リットル飲むとアルコールを含まない飲料に比べて尿量が158ミリリットル多くなる、という数字が挙げられています。
この数字自体は正しく、出典もあります。同医師は、水を飲んだところでアルコールの毒性が相殺されるわけではなく、リスクを決めるのは飲酒量だとも明言しています。
問題は、158ミリリットルという数字だけが単独で流通したときです。ビールは脱水を起こす飲み物だ、という単純化が起きます。ビールの水分含有量は95パーセント前後です。1リットル飲んで尿が158ミリリットル余分に出たところで、収支は800ミリリットル以上のプラスで終わります。ビール単体で脱水になるかと聞かれれば、なりません。
それでも朝は渇く
では飲み会の翌朝のあの口の渇きは何かというと、経路が別です。
アルコールが抗利尿ホルモンを抑えるのは、飲んでいる最中というより血中濃度が下がっていく過程です。寝ている間に尿が出て、その間は当然何も飲んでいない。起床時の渇きはこれです。
もっとも、二日酔いの症状全体を脱水で説明するのも無理があります。頭痛や倦怠感にはアセトアルデヒドの残留と炎症性サイトカインの関与が指摘されていて、水を飲んでおけば二日酔いにならない、という通俗的な理解はやや楽観的です。水分は症状を軽くする一因にはなっても、原因そのものを消してはくれません。
もうひとつは酒の種類。ビールから焼酎やウイスキーに移った時点で、入ってくる水分が激減して利尿だけが続きます。ビール2杯で帰る人より、ビールのあとに日本酒という人のほうが問題になります。
夏場、屋外、塩気の強いつまみ。この辺りが乗ると簡単に足りなくなる。
「ビールは脱水を起こす」は不正確でも、「飲酒の場は脱水を起こしやすい」は正しい。
同じ量の水を
僕は外来で、ビールを飲むなら同じ量の水を一緒に飲んでください、と伝えています。
脱水予防の話として出していますが、狙いはもう一つあります。飲酒量を減らすことです。
ビールなら中ジョッキを3杯でも4杯でも空けてしまう人が、では同じだけの水を飲めるかというと、これがまず飲めない。水が飲めるかどうかが、そのまま飲酒量の上限になります。
しかもこの言い方だと、患者さんに「制限された」という感触が残りません。2杯までにしなさい、だと取り上げられた感じが出て反発が来ます。同じ量の水も飲んでくださいね、は足し算の指示なので、素直に受け取ってもらえる。実質は同じ枷でも、抵抗感がまるで違います。
禁煙指導で本数を減らさせようとすると、たいてい失敗します。1日20本を10本に、という交渉は、患者さんの側に毎日20回の我慢を要求する話になるからです。飲酒でも同じで、量を直接削りに行く指示は摩擦が大きい。行動のほうに条件を足して、結果として量が落ちる形にしたほうが通ります。
守れなかったときも、医者の言うことを破った、にはなりません。水が飲めなかった、で済みます。自分の飲酒量への自覚だけが残って、外来から足が遠のく方向には行きにくい。
5で割る
ビール以外はどうするか。度数で換算してもらいます。
度数を5で割ってください、と伝えています。
ウイスキーは43度なら8.6倍。ダブル1杯60ミリリットルで、水は500ミリリットル強になります。日本酒は15度で3倍、1合180ミリリットルなら540ミリリットル。どちらもビール中瓶1本とほぼ同じ純アルコール量ですから、換算として妥当なところに落ちます。
厚生労働省は2024年2月に飲酒ガイドラインを出し、純アルコール量で自分の飲酒を把握することを推奨しました。生活習慣病のリスクを高める量として、男性1日40グラム、女性20グラムという目安も示されています。方向としては何も間違っていません。
問題は、量に度数を掛けて0.8を掛ける、という計算を居酒屋で誰もやらないことです。外来で公式を口にした瞬間、患者さんの目線が落ちます。5で割る、という指示にしてはじめて、店で思い出せる形になります。
副産物として、強い酒ほど水のハードルが上がります。臨床的に厄介な飲み方のほうに、自動的に重い枷がかかる設計になっています。
家族が同席している日
この指示を出すと、だいたい返ってくる言葉が決まっています。
「そんなに水なんか飲めませんよ」
言われた時点で、指導としては半分成功しています。そう言うためには、自分がどれだけ飲んでいるかを一度換算しなければならないからです。こちらが指摘するより、本人の口から出た数字のほうがよほど効きます。
飲酒量の自己申告は、まず過少に出ます。悪意というより、少なめに言うことが習慣になっている。だから家族が同席している日の情報は、診療上かなり価値が高い。横から訂正が入るだけで、把握できる実像が変わります。
ただ、その価値をその場で使い切るのは避けています。家族の前で申告を崩された患者さんは、次から家族を連れてこなくなるか、通院そのものが途切れることがあるからです。飲酒は隠す方向と結びつきやすく、正確な申告が取れなくなると、その後の把握が全部効かなくなります。家に帰ってから家族が責められる展開も、飲酒では起こります。
一度きりの正解より、次も同じ椅子に座ってもらうほうを取ります。
なので僕はこう言います。結構飲めないもんでしょう、と。でもそれぐらい飲まないと脱水になりますよ、と続けます。
水は誰でもそんなに飲めない、という一般論に逃がしてあるので、誰も追い詰められません。それでいて、水の量イコール酒の量という等式は残ります。患者さんは自分で計算しますし、家族もその場で聞いています。
本人の申告と家族の申告が食い違ったときは、どちらかを正解として採らず、幅として持っておくようにしています。下限は本人の言う量、上限は家族の言う量。次の受診でその幅がどちらに寄るかを見たほうが、一回の詰問より情報が取れます。
一滴でも悪い
飲酒そのものについては、一滴でも体に悪いことが分かっています、と伝えています。
がんリスクに関しては、言い切って差し支えありません。かつて言われたJカーブは、禁酒した元飲酒者を非飲酒者に混ぜていた交絡の問題でだいぶ削られました。転換点になったのは2018年のランセット誌に載った世界疾病負担研究で、健康被害を最小化する飲酒量はゼロだと結論づけられています。WHOも2023年1月に、安全な飲酒量は存在しないという声明を出しました。
心血管系については低用量で有意な上昇を示せない報告が残っていて、全死亡で完全に決着したとまでは言えません。2018年の報道は少量飲酒の健康効果が全面的に否定されたという形で流通しましたが、心血管アウトカムに限れば議論は続いています。外来で伝えるぶんには、一滴でも悪い、で実務上困らないと考えています。
そのうえで、飲酒は自己責任です、と言います。医師で飲酒を許可する人はいませんよ、とも。
線を引く言葉なので、依存が絡んでいる相手には使いません。自己責任だと分かっていて、分かったうえでやめられないのが依存です。あの言葉は「相談しても仕方ない」に翻訳されてしまいます。
僕の外来に、依存症として来る患者さんはいません。ただ入り口が違うだけで、混ざっていることはあります。繰り返す受傷歴。本人は転んだとしか言いません。
CAGEやAUDITといったスクリーニングは、使えば拾えます。ただ専門外の外来で、初診の患者さんにいきなり4問なり10問なりを当てるのは、現実には重い。5で割った結果に対する反応のほうが、入り口としては軽くて使えます。換算した量に本人が驚かないとき、そこが引っかかりどころだと思っています。
正しさより、持ち帰れるか
飲酒に関する啓発は、内容としてはとっくに完成しています。適量を守る。水分を取る。休肝日を作る。どれも正しい。正しいまま、20年前と同じ標語がポスターに刷られています。
休肝日は日本でよく使われる言い方ですが、海外の飲酒ガイドラインにはほとんど出てきません。連続飲酒を断つという意味では機能しても、週2日空けたぶんを残り5日で取り返せば総量は変わらない。標語として覚えやすいことと、行動として効くことは別です。
効かない理由は、正しくないからではありません。外来の数分で渡されて、居酒屋の3時間後まで残る形をしていないからです。純アルコール40グラムという基準は、その場で思い出せません。5で割るは思い出せます。中身は同じでも、持ち帰れるかどうかが違います。
1万3750円のグラスも、発想としては同じ場所にいます。分かっているのにできない、という2つの75パーセントを前にして、説得を諦めて物理法則に仕事を振った。値段は張りますが、設計の思想としては正直です。
ふらつくビアグラスは1万3750円です。度数を5で割るのは、無料です。
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