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AIに書かせたnoteが刺さらない本当の理由

先日、「ChatGPTを使ってもnoteが刺さらない理由」という記事を読みました。題材はいい。今のnote界隈に必要なテーマです。

でも、その記事自体がChatGPT丸出しだった。

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AI文章は刺さらないという主張を、AI文章で書いている。本人は大真面目らしい。もったいないので、僕なりの考えを書きます。

誰に書くかじゃない

元記事は「読者像を絞れ」と言っています。ペルソナを設定しろ、たった一人に向けて書け、と。マーケの教科書ですな。

間違いではない。そこじゃない。

同じテーマで、同じ読者を想定して、十人が書けば十通りの記事になる。その差はペルソナの精度じゃありません。書き手が誰か、です。どんな仕事をして、どんな生活を送って、何に怒って、何をしくじってきたか。その蓄積が文章ににじみ出る。読者はそこを読みに来ています。

テクニックで刺さる文章は書けません。刺さる人間が書くから、刺さる。

揺れはつくれない

元記事は「思考の揺れや感情の温度がない文章は刺さらない」と言っています。それ自体は正しい。

ただ、その揺れをAIで再現しようとすること自体がずれている。

AIが出す「揺れっぽい表現」は、結局パターンです。「正直に言うと迷いました」「最初はうまくいきませんでした」。型をなぞっているだけで、本当に迷った人間の文章とは手触りが違う。予定調和を崩すプロンプトを工夫したところで、出てくるのはかりそめの揺れです。

読む側は、それを無意識に見抜きます。

揺れを書きたいなら、自分自身が感情を揺らすしかない。

AIには不要な細部がない

前にも書いたことがあるけれど、これはAIの構造的な限界だと思っています。

人間の記憶には、物語に不要な細部がある。石川県の馳浩知事について書こうとすると、なぜか「黄色いタイツ」や「ジャイアントスイング」が出てくる。政治コメントには全く不要です。でも、それが記憶の手触りというもので。

AIにはこれがない。渡された情報をすべて「意味のある要素」として処理してしまう。

感情の扱いも同じです。AIの文章には「震える手で」「情けなかった」「胸が熱くなった」が頻出する。これは感情そのものではなく、感情のラベルです。本当に情けなかった人間は、その情けなさを直接は書けない。周辺を描写して読者に感じさせるか、笑い話として処理することで、かえって傷の深さが滲む。

AIはラベルを貼る。人間は、貼れないまま差し出す。

尖りたいならまず意見を持て

AIを使って尖った文章を書きたがる人がいます。気持ちはわかる。

順番が逆です。

尖った文章というのは、尖った意見があって初めて成立する。自分の中に「これはおかしい」「こうあるべきだ」という核がないまま、AIに「もっと攻めた表現で」と指示しても、表面だけ尖って中身がない文章ができあがるだけ。

それは尖っているんじゃない。ピエロです。本人は攻めているつもりでも、読む側から見れば滑稽なだけで。

文体の尖りは意見の尖りの結果なのです。

体験の話

元記事は「体験が装飾になっている」と指摘しています。まあ、そうでしょう。でも「体験を入れましょう」なんて当たり前の話で、わざわざ言うまでもない。

大事なのはその先で。どんな体験を入れるか。それが本物かどうか。

やらかした話。恥ずかしい判断。取り返しのつかない失敗。そういうものは作れません。AIに「失敗談を入れて」と指示すれば、それらしいエピソードは出てきます。嘘はバレる。読者は馬鹿じゃありません。「なんか嘘くさいな」と感じた瞬間に離脱する。その直感は大体当たっています。

本物の体験だけが、読者を引き寄せる。

代筆でいい。その先の話。

元記事は「代筆者として使うな、思考整理に使え」と言っています。僕はそうは思わない。代筆でいい。

条件は一つ。自分の考えと、自分の体験が入っていること。

僕もAIを利用して書いています。素材を渡して構成してもらうことも、下書きを丸ごとつくってもらうこともある。載せるのは、自分の頭で考えたことと、自分の身に起きたこと。核さえあれば、整形は任せていい。

核がなければ、思考整理だろうが代筆だろうが同じこと。使い方の問題じゃない。載せるものの問題です。

問いを人に任せるな

元記事の結論は「問いは人間が持ち、整形をAIがする」。言っていることは正しい。基本中の基本です。

でも、その記事自体の「問い」はどこから来たのか。

読めばわかります。構成も論点もすべてAIが生成したもの。「問いは人間が持て」と説教しながら、自分は問いすらAIに丸投げしている。これでは何も伝わらない。説教は実践してから言うものです。

AIは着地させたがる

AIにはもう一つ厄介な癖があります。必ず着地させようとする。

失敗談を書かせれば「でもその経験があったからこそ」と教訓に回収する。挫折を語らせれば美談にまとめる。怒りを書かせても、最後には「とはいえ相手にも事情が」と丸く収めにかかる。

人間の感情はそんなにきれいに割り切れません。

以前こんなことを書きました。

『息子と添い寝している。もう小学生高学年で、身長も随分伸びた。セミダブルは狭くなってきた。息子は寝相が悪く、一晩に軽く二回転はする。僕が遅くベッドに入ると息子の足と向かい合わせになる。でも朝になると同じ方向を向いている。不思議だ。』

これで終わり。「成長を感じた」とか「いつか離れる日を思うと寂しい」とか、そういう着地をしない。ただ「不思議」なのです。AIなら絶対に「かけがえのない時間」に回収する。

人間は、着地できないまま書く。その割り切れなさが文章のリアリティです。

読者が「わかる」と思うのは、きれいに着地した話じゃなくて、着地できないまま差し出された言葉のほうです。

AIはこれができません。必ずオチをつける。必ず意味を回収する。だからAI任せの文章は、どこか嘘くさくなる。人生はそんなにうまくまとまらないと、みんなわかっている。

道具の話

AIは道具です。優秀な道具。でも道具は使い手を超えません。

AIの文章を読んだ後の感覚を、僕はカロリーメイトに例えています。腹は膨れる。栄養素は入っているはず。でも食事をした気がしない。人間味のある文章は、町の定食屋の生姜焼き定食です。栄養バランスは知らない。でも「食った」という感覚が残る。

その差は、プロンプトでは埋まらない。

刺さるnoteを書きたいなら、ChatGPTの使い方を工夫するより先にやることがある。

考えること。経験すること。失敗すること。そこから書くこと。そして自己満足に甘んじないことです。


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