医師、バンコク駐夫になる。 「ばあちゃんの手」
我が家はとあるフランス人家庭と行き来があったことから、子供の睡眠に関しては仏流を採用した。
人生の理想は、アメリカの給料を貰い、中国人のコックを雇い、イギリスの家に住み、日本人の妻を持つことと言われるが、うちの娘はフランス式のネントレをし、ドイツ製のベビーカーに乗り、タイの家に住み、日本食を食べて、ぷくぷくと大きくなった。
フランス流のネントレとは、生後間もない頃から、暗くて静かな、両親とは違う部屋で寝る練習をすることで、目標は寝かしつけをせずとも、一人で眠れるようになることである。これによって夜中に目が覚めたときも、もう一度自分で入眠できるので、親を悩ます夜泣きもなくなる。
日本では添い寝、寝かしつけが一般的なので、フランス人家庭を訪問した際に、彼らが生後3ヶ月の子供を部屋に置いてすぐに出てきたときには相当な驚きがあった。
『フランス人の子供は夜泣きをしない』などの本でその方法が紹介され、世間に広まってきているとはいえ、いざとなると躊躇したり、途中で諦めたりする家庭もあるなかで、我が家がフランス式を完遂できたのは、実物を目の当たりにしたことが大きかったのだろう。
そんな寝かしつけなし、夜泣きなしの睡眠を獲得した娘は、その後タイに来て空気が変わり、部屋が変わっても、相変わらず親孝行な睡眠を続けていた。
しかし、一歳半を過ぎたあるときを境に、寝室に連れて行こうとすると嫌がって泣くようになったのである。
ベットに置いてみても、いつもはくるっと回ってすぐに寝るのに、立ち上がってベット柵を掴んで泣いているのである。
数分様子を見ても一向に変化がないため、部屋に入っていくと、すっと泣き止む。しかし同じ部屋にいて見守っているだけではダメで、体に触れていないとまた泣いて怒ってくる。
この時期は歩行が安定して世界も広がるし、風邪もひいていたし、保育園の担任の先生も変わったりで、きっと色んなことが重なってそばにいて欲しい気持ちなのだろう。まだ言葉では言えないが、なんとなくそういう感覚が分かったのもあって、我が家にとって初めての添い寝、寝かしつけ生活が始まった。
いざ始めてみると大変なもので、早い時には10分くらいで寝てくれるが、遅いと3時間かかることもある。手を背中に当てていると、途中でこちらも疲れてくるのでつい体勢を変えてしまう。すると娘は親の腕をにぎってもとの場所まで持っていき、しまいにはこのようにさすってちょうだいなと握った腕をすりすり動かしてくるのである。
3時間寝ないのは憎たらしいが、ここまでくると、こんなにもはっきりと要求を伝えられるのかと笑みがこぼれてくる。と同時に、そういえば自分も昔こうやって寝るのが好きだったことを思い出した。
僕は母よりもばあちゃん(母の母)によく懐いていたおばあちゃんっ子だったと言われている。確かに、幼少期に電車を見に行ったり、近所を歩いたりしたときの朧げな記憶では、いつも隣にばあちゃんがいる。
家に泊まりに行ったときも、兄弟は親と寝ていたが、僕はばあちゃんの布団で寝た。そしてばあちゃんに背中をトントンしてもらい、田んぼで泣くカエルや鈴虫の音を聴きながら眠りに落ちたのだった。
そんなばあちゃんは僕が研修医1年目の時に癌で亡くなった。仕事は忙しく、東京から距離があったので、最後の入院中に見舞いに行けたのはほんの数時間だった。闘病中のつらい夜、僕がそばにいて体に触れてあげられれば、いかほどか安らげただろうに、それは実現できなかった。
その願いはもう叶わないわけだが、ばあちゃんからもらった愛情は我が胸の底のここには残っていて、僕は今その手の温もりを思い出しながら、娘の背中に手を当てている。
そんな寝かしつけの日々も一ヶ月近くなった。
調べてみると、1歳半の時期は睡眠退行がおこりやすい時期らしく、親と離れることに不安を感じる分離不安という要素が一番大きいらしい。
解決策は色々あるのだが、うちは最終的にラビー(Lovey)を導入して大きく前進した。
ラビーは日本ではあまり知られていないが、欧米の育児ではよく使われる概念で、子供にとってこれがあれば落ち着けるというものを指す。毛布、タオル、ぬいぐるみなど、ものはなんでもいいが、本人のお気に入りで、親の匂いがついていて、安心感を与えられるものがいいらしい。
そんなわけで、我が家では娘がよく挨拶をするマーライオンのぬいぐるみをラビー認定し、僕は匂いをつけるために数日間洗っていないパジャマでマーライオンを抱いて眠った。
その汗なのかなんなのかよくわからない匂いがついたぬいぐるみの効果は翌日からさっそく発揮され、ほとんど泣かずに入眠できるようになった。
さらに今ではシャワー、歯磨きが終わると、自分でマーライオンを持ってベットまで歩いていくようになり、そのトコトコ歩いて行く後ろ姿はなんとも可愛らしい。
親としては寝かしつけ、夜泣きから再度解放され、ありがたい限りであるが、ほんの少し寂しさも感じる。なぜなら、考えようによっては、この1ヶ月は幸せな夜だったからだ。僕は背中にばあちゃんの、手のひらに娘の温もりを感じて眠ったのだから。
