あんたが最後に選ぶ名刺
あんたは、ここまでの話を読んでいて、自分の中の「スキのコア」ってやつの輪郭が、少しは見えてきたかい。
最初に話したのは、「俺たちは日常という舞台で、いくつものロールを演じている」ということだった。
父であり、夫であり、部下であり、リーダーであり、SEであり、PMであり、テーブルトークRPGのプレイヤーでありマスターでもあり、noteで何かを書き散らかす書き手でもある。
そういうロールたちを、俺たちはわりと器用に付け替えながら、今日もなんとか一日を終わらせている。
でも、そのロールの全部を剥ぎ取ったときに、最後に残る「どうしても嫌いになれない自分の芯」。
それを俺は、ずっと「スキのコア」って呼んできた。
あんたが心のどこかで「これだけは譲りたくねぇな」と感じているもの。
うまく言葉にならないけれど、追い詰められたときにふと顔を出す、あの頑固さみたいなやつ。
その顔を一度見ておかないと、ロールに振り回され続ける人生からは、なかなか抜け出せないんじゃないか。
そんな話を、ここまでずっとしてきたつもりだ。
今回はここんところ書いてきたことの総決算の回だ。
ちっと、あんたの「スキのコア」も覗いてみてくれよな。
急がないけど大切なこと
途中で触れた、TODOリストと「急がないけれど大切なこと」の話を覚えているだろうか。
緊急かどうかと、大切かどうかの二軸でタスクを四つの箱に分ける考え方。
あれは便利な道具だけど、一番大事なのは「大切ってなんだ?」という問いの方だと、俺は思っている。
大切って言葉を使うとき、あんたはいつも、誰の顔を思い浮かべている。
自分か、家族か、顧客か、チームか、友人か。
「誰にとって」大切なのかを曖昧にしたまま、全部の箱に全部突っ込もうとするから、結局、急ぎの仕事に追われて、本当に守りたかったものを削る羽目になる。
凡人には、全部は守れない。
だからこそ、どこかで「何を捨てるか」「何を後回しにするか」を決めてしまわないと、何ひとつ守れないまま時間だけが溶けていく。
それは頭ではわかっている。
わかっているんだけど、いざ目の前に「捨てる選択肢」が現れると、手が震える。
だって、捨てるってことは、「誰かの期待を裏切る」とほぼ同義だからだ。
ロールと矜持とトラブル現場
どこかのトラブル現場にぶち込まれたときの話をしたことがあった。
徹夜明け、20人近くが半分死んだ目でキーボードを叩いている。
朝7時。
顧客とマネージャーたちに状況報告をする時間になっているのに、自分の担当部分がどう足掻いても「あと5分」足りない。
時計を見ると、残り3分。
間に合わねぇ。
そこで口をついて出たのが、あのセリフだ。
「行ってください。こいつはなんとかしますから。」
その瞬間、俺が守ろうとしたのは誰だったのか。
顧客でも、チームでも、会社でもない。
たぶん俺は、「俺には出来る」と信じていた自分自身に、必死にすがりついていた。
あの場面で最後まで抱きしめていたのは、「有能なエンジニア」というロールじゃなかった。
「ここで折れたら、自分を嫌いになってしまう」という、どうしようもない矜持の方だった。
それからずっと、「あのときの選択は本当に良かったのか?」という問いが、頭のどこかに残っている。
プロジェクトは首の皮一枚でつながって、みんな笑ってくれた。
だけど、あそこでまた「全部自分で背負える」というロールに、自分から飛び込んでいったんじゃないか。
そういう後味の悪さも、確かに残っている。
ロールと人間関係の終わり方
ロールってのは便利だ。
「PMです」「リーダーです」「火消し担当です」と名乗れば、世の中はそれなりの期待値を自動的にセットしてくれる。
その期待に乗っかって、仕事も人間関係も高速で組み上がっていく。
でも、プロジェクトが終われば、そのロールは消える。
ロールが消えれば、そのロールを経由していた人間関係も、するするとほどけていく。
あんたにもきっとあるはずだ。
あの現場では毎日のように話していたのに、プロジェクトが終わった瞬間、二度と連絡を取らなくなった誰か。
逆に、ロールが終わっても、なぜか細く長くつながり続ける誰か。
その違いは何かと言えば、たぶん「行間を読み合った時間があるかどうか」なんだろうな、と最近は思っている。
言葉の表面だけじゃなく、その裏にある「本当は怖い」「本当は悔しい」「本当はうれしい」を、なんとなく知ってしまった相手。
そういう相手との関係だけが、ロールが外れても少しだけ残る。
一方で、与えられたロールの範囲内でだけ、与えられた言葉だけを交わしていた相手は、ロールと一緒に霧散していく。
そういうもんだ。
ロールを捨てるって、どういうことか
ここまで話してくると、「ロールを捨てる」という行為の重さも見えてくる。
ロールを捨てるというのは、そのロールを通してつながっていた誰かとの関係を、弱めたり手放したりすることでもある。
それはときに、「その人の幸せを気にかけること」をやめる決断にも見える。
だから、「ロールを減らそう」「抱えすぎるな」と言われても、素直に頷けない。
「それって、この人たちを見捨てるってことじゃないのか?」
その疑念が、心のどこかでこびりついたままになる。
でもさ。
ほんとうに、全部のロールに全力投球して、全部の人の期待に応え続ける未来を、あんたは自分に許せるか。
「あの人のためなら」とロールを増やし続けていたら、ある日、自分のスキのコア側に残しておきたかった根性が、品切れになっていた。
子どもと話す余裕がなくなっていたり、書きたいものを書く時間が丸ごと消えていたり、死ぬまでやりたいと思っていた趣味のことを考える気力すら残っていなかったり。
それでも、「誰も見捨てていない」と胸を張れるなら、それはそれで一つの生き方だ。
でも、もしそのとき、あんたの中のスキのコアがぼろぼろになっていたら、それは本当に「守った」と言えるのか。
ロールを捨てるっていうのは、たぶん、こういうことなんだと思う。
この人たちの全部は守れない。
この現場の全部も、全部の期待も、全部の「助けて」を引き受けることはできない。
だから自分は、ここまでの距離に下がる。
ここから先は、自分じゃない誰かに任せる。
その代わり、自分が最後まで責任を持つと決めたロールには、ちゃんと執着心を残しておく。いや、忘れないようにするってほうが正しいか。
そうやって、「誰のために」「何のために」自分のスキのコアを使うのかを、選び直す。
それが、ロールを捨てるってことなんじゃないか。
あんたは、誰を連れていく?
ここまで、あんたは自分のロールをいくつ思い浮かべてきた。
仕事の肩書きとしてのロール。
家族の中でのロール。
友人としてのロール。
趣味のコミュニティでのロール。
ネット上でのロール。
そのひとつひとつに、顔が浮かぶ人たちがいるはずだ。
ロールが外れたら、きれいに消えてしまう関係もあるだろう。
逆に、ロールがなくなっても、何かの拍子にまた連絡を取りたくなる相手もいるはずだ。
いずれ、あんたは今のロールをいくつか手放すときが来る。
自分から降りることもあるだろうし、気づいたら降ろされていることもあるだろう。
そのとき、あんたの隣には誰が立っていてほしい。
どのロールだけは、「もういいよ」と言われても、ちょっとだけしがみつきたいと思う。
逆に、「ごめん、ここは降りさせてくれ」と、自分から手を離したいロールは、どれだ。
そしてもう一歩、踏み込んで聞きたい。
すべてのロールを一度きれいに剥ぎ取った状態で、あんたの前に一枚だけあんたの名刺が差し出されたとしたら。
その名刺に書き込めるロールは、たったひとつだけだとしたら。
あんたはそこに、どんなロールの名前を書き込む?
そのロールを通して、誰とつながって、何を守ろうとする?
そしてその選択は、本当にあんたのスキのコアが望んでいる選択だと言い切れるかい?

解説動画
いいなと思ったら応援しよう!
いただいたチップは今日のお昼ご飯に使わせてもらいますw