役割をまとわない俺たちの選択
あんたは好き好んで茨の道を選ぶことって、あったりするかい。
俺の好きなセリフの一つに、こんなのがある。
こないな時代やと人生は絶え間なく連続した問題集や。
揃って複雑。選択肢は酷薄。加えて制限時間まである。
一番最低なんは夢みたいな解法待って何ひとつ選ばない事や。
オロオロしてる間に全部おじゃん。一人も救えへん。
マンガ「TRIGUN MAXIMUM」に出てくるセリフだ。
細かいシーンはだいぶ忘れたけど、この言葉のキレだけは今も残っている。
「絶え間なく連続した問題集」って表現が、ほんと刺さるんだよな。
大きいか小さいかは別にして、俺たちの毎日なんて結局は選択の連続だ。
明日は休みだからゆっくり寝ようか。
それとも朝からどこかに出かけようか。
そんな日常レベルのどうでもいい選択もある。
一方で、会議で言おうか迷ったひと言をつい口にしてしまって、その一撃でしばらく貧乏くじを引くことになる選択もある。
どっちも「選ぶ」という行為からは逃げられない。
選ばないつもりで黙っていても、それはそれで「選ばないという選択」をしているだけだ。
だったら、せめて自分が選んでいる道がどんな性質なのか。
そのあたりを一度眺めてみるのも悪くない。
今回は、その中でも「茨の道」について。
ちっと一緒に、人生の迷路を探検してみようじゃないか。
茨の道の歩き心地
大抵のケースではさ。
目の前に見えているルートが、どう見ても「茨の道」しかないように思える。
舗装された楽そうな道が、すぐ横に並んでいるわけじゃない。
「こっちがラクですよ」と案内板がぶら下がってくるわけでもない。
だから、人は「仕方なく茨を選んだ」と思い込みながら歩き始めるんだろう。
そうでも思わないと、「なんで俺がこんな目に」とぼやきながら進むことになる。
そうなった瞬間、全身から負のオーラが吹き出す。
ため息と愚痴と諦めが混ざった空気が、歩くたびに背中から漏れていく。
その空気は、ゆっくりと周囲にも広がっていく。
当然、そのオーラを浴び続ける仲間や上司や顧客も、少しずつ暗くなる。
あんたのダークサイドに、じわじわと巻き込まれていく。
誰も嬉しくないし、誰も得をしない。
結果として、「いやいや歩く」を全員で続けることになるわけだ。
でもな。
自分から進んで「選んだ」茨の道ってのは、たぶん別物なんだよ。
なんといっても、その先にあるものが、ぼんやりとでも見えている。
「あっち側に行けたら、きっと何かが変わる」っていう輪郭くらいはある。
それがあるかないかで、同じトゲでも刺さり方が変わる。
痛いのは痛いけど、「まあ、この痛みは必要経費だな」と思える。
遊びで選ぶ「茨の道」
ここで、前にも話した学生時代に俺が没頭した、テーブルトークRPGの話を持ち出そう。
ゲームマスターをやったときのことだ。
ゲームマスターってのは、TRPG全体の進行役だ。
物語の舞台を作り、シナリオを用意し、プレイヤーの行動に合わせて世界を動かしていく。
そのときの俺の目標は、かなりねじくれていた。
プレイヤー全員を、やるせない気持ちにさせる。
救いのないバッドエンドを押しつけたいわけじゃない。
精一杯やったつもりなのに、それでも救えないものがある、という感触を味わってほしかった。
TRPGのシナリオって、ふつうは大まかな筋書きだけ決めておく。
あとはプレイヤーの行動を見ながら、その場で肉付けしていくことも多い。
でも、その時の俺は違った。
準備段階で、とんでもない茨を選んだ。
舞台は山間の小さな村だ。
人口は四十人ほどの、地図に載るかどうかも怪しい共同体。
その村で起きる大きな事件に、プレイヤーたちがどう反応するか。
その行動が、どんな波紋を広げるか。
それを描き出すために、俺はまず村人全員に名前をつけた。
名前だけじゃない。
一人ひとりの背景まで決めた。
幼い頃から一緒に育って、暇さえあれば川に釣りに行く幼なじみ。
都会の病院を辞めて、生まれ育った村に戻ってきた若い医者。
子どもに恵まれない鍛冶屋夫婦。
近所の子どもを自分の孫のように可愛がっている、少し不器用な二人。
祭りになると毎回張り切る青年団長。
文句を言いながらも、誰より早く準備を始めるおばあちゃん。
そんなふうに、四十人全員分の人生ドラマを設定していった。
メモ帳の中で、それぞれの暮らしが動き出すまで書き込んだ。
それだけじゃない。
村全体の地図も、自分の手で描いた。
家の並び。
畑と森の境目。
川の流れ。
子どもたちの秘密基地になっている大岩。
プレイヤーが目を閉じたときに、頭の中で村を歩き回れるように。
細かなところまで作り込んだ。
日常のドラマ
セッションが始まると、まずはその日常から体験してもらった。
朝、道で挨拶されて、少し立ち話をする。
釣りに誘われて、川辺でくだらない話をしながら竿を垂らす。
祭りの準備に駆り出されて、重いものを運びながら昔話を聞く。
そうしているうちに、プレイヤーたちは村人に親しみを持ち始める。
「あの人はいい人だな」とか、「あのばあさんは口が悪いけど頼りになるな」とか。
プレイヤーキャラクターが、この村で「過ごしている」感覚が積み重なっていく。
そこから、事件が起きる。
ある日、誰も予想していなかった形で、村が危機にさらされる。
詳しい内容はここでは伏せるが、「放っておけば村は壊滅する」レベルの事態だ。
プレイヤーたちは、当然のように動き出す。
情報を集め、作戦を立て、危険な場所に踏み込み、ギリギリのダイスを振る。
やれることは、全部やる。
それでも、その行動がことごとく裏目に出る。
誰も悪意を持って選択していない。
むしろ、「村人を守りたい」という気持ちがあるからこそ、その一手を選んだ。
それでも、ある行動が別の場所で予想外の反応を引き起こす。
それが静かに連鎖して、気づいた時にはもう手遅れになっている。
結果として、村人は全員亡くなる。
そういう話だった。
報われた茨の道
あとにも先にも、あんなに手間ひまかけてシナリオを作ったことは一度きりだと思う。
プレイヤーと一度も顔を合わせないまま命を散らした村人も、何人もいた。
名前をつけて、背景を膨らませて、頭の中に人生を生きさせたのに。
セッション中には一度も登場しないまま終わったキャラクターたちだ。
それでも、俺はその人たちにも、はっきりとドラマがあると決めていた。
そしてその「存在したはずのドラマ」が、プレイヤーの行動の結果として台無しになる疑似体験を与えることには、たしかに成功した。
セッションが終わったあと。
卓の上には、なんとも言えない重い空気が漂っていた。
深く息を吐く者。
キャラクターシートを見つめたまま黙り込む者。
「マジで全滅かよ……」と苦笑いを浮かべる者。
それぞれが、それぞれのやるせなさを抱えていた。
ふうむ。
何たる陰鬱な達成感だろう。
でも俺は、その感触に酔いしれていた。
四十人分の人生を組み立て、ほとんど無駄になると分かっているドラマを作り続けて。
その茨の痛みを、たいして気にもしないで突っ走っていた。
むしろ、ちょっと楽しんでいた。
そして、その「一人も救えへん」物語は出来たわけだ。
耐えられる茨
こうやって振り返ると、俺たちの日常にも同じ構図がある。
自分で決めたことなら、大抵のしんどさには耐えられる。
逆に、誰かに決められたことだと、驚くほどあっさり心が折れる。
上から降ってきた理由不明の方針とか、「会社として決まったから」という一言だけで始まる仕事とか。
そういう案件を前にしたとき、俺たちはスタート地点からして足に刺さるトゲの数が違う場所に立たされている。
一歩進むごとに、「俺は何のためにこれをやってるんだっけ」という疑問が、靴の中の小石みたいに入り込んでくる。
まったくもって、脆弱な存在だよな。
ヒトってやつは。もちろん、俺も含めて。
でも、この脆さには裏側もある。
脆いからこそ、「自分で選んだ」と感じられるだけで、急にしぶとくなれる。
あれほど重く感じていた荷物が、「まあ、俺がやると決めたんだしな」と思った瞬間に。
少しだけ持ち上げやすくなる。
さっきのTRPGの話もそうだ。
誰かに「そういうシナリオを作れ」と頼まれていたら、絶対にやらなかったと思う。
プレイヤー全員をやるせない気持ちにさせる。
そんなねじくれた目標を、自分で掲げたからこそ、あの手間を喜んでかけられた。
日常の選択も、だいたい同じだ。
仕事でも、もっと楽に済ませられるやり方は、探せばいくらでもある。
最低限の体裁だけ整えれば済む資料を、つい細部まで詰めてしまう。
「このくらいで出しても誰も文句は言わない」と分かっているのに、一歩余計に踏み込んでしまう。
なぜか。
システムエンジニアって俺の仕事は「困っているヒトがいる」前提の仕事だからだ。
そのヒトたちのことを思うと、「夢」を見させたくなるじゃないか。
冷静に損得だけ見れば、「やりすぎ」に見える行動。
でも、その裏にはたいてい、「これは自分で決めたんだ」という感触がある。
ここで、前に話したスキのコアの話が効いてくる。
あんたのスキのコア。つまり「これをやっている自分のことは、どうしても嫌いになれない」という芯みたいな部分だ。
それがどこにあるかで、選びたくなる茨の種類が変わってくる。
物語を編むのが好きなやつは、しんどくても濃いストーリーを作りたくなる。
人を支えるのが性に合っているやつは、誰かが立てない場所に、わざわざ自分の足を突っ込む。
仕組みをいじるのが楽しくてたまらないやつは、今のやり方をひっくり返すようなプロジェクトに燃える。
効率だけ見れば、「そこまでやらなくてもいいじゃん」と言われるようなルートばかり選んでしまうとき。
その裏には、たいていこのスキのコアが顔を出している。
TRPGで村人四十人分のドラマをわざわざ作るなんて、ゲーム的には完全にオーバーキルだ。
でも、「物語を濃くしたい」「プレイヤーに感情を揺らしてほしい」というコアがあったから、あの茨を楽しんで歩けた。
なあ、あんたはどうだい。
本当はもっと楽な選択肢が見えていたのに、あえてしんどい方を選んだことはないか。
無我夢中で走って、気づいたら泥だらけになっていた。
あとから振り返ると、「あれだけは自分で選んだんだ」と、妙な納得感だけが残っている。
もし一つでも思い当たるなら。
そのときの自分が、どんなロールを演じていたのか、少しだけ言葉にしてみてほしい。
誰を守りたかったのか。
何を守りたかったのか。
どんな自分でいたかったのか。
そして、そのロールは、あんたのスキのコア、つまりロールをまとっていない素のあんたと、どこかでつながっていなかったか。
もしかしたら、そのとき歩いていた茨の道こそが。
あんたの人生の中で、いちばん「あんたらしい」一章だったのかもしれない。
もちろん、「二度とごめんだ」と思う茨もある。
足に残ったトゲの跡を見るたびに、頭を抱えたくなる選択もある。
それでも、「自分で決めた」と感じ直せた瞬間から。
その道は、ただの罰ゲームじゃなくなる。
失敗も後悔もひっくるめて、「俺の物語の一部」くらいには格上げできる。
TRIGUNのあのセリフが言うように、人生が絶え間なく連続した問題集だとするなら。
一番まずいのは、夢みたいな解法を待って、何ひとつ選ばないことなんだろう。
だからこそだ。
あのセッションでプレイヤーは確実に「選んだ」んだ。
そして、その選択が村人全員の命を奪ったとしても「選んだ」と言う事実は変わりがない。
どう転ぶか分からなくても、「これは俺が選んだ茨だ」と言える一歩を踏み出した瞬間。
その道は、少なくともあんたの足跡で意味づけられ始める。
あんたはこれまで、どんな茨の道を、誰の意志で踏みしめてきたんだい?
解説動画
いいなと思ったら応援しよう!
いただいたチップは今日のお昼ご飯に使わせてもらいますw