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日常という舞台。演者として100の役をこなす俺たち

なあ、あんた。何のためにそのアカウントを持ってるんだ?

何?読む専でアカウントだけ持ってるって?
それはそれでアリだけどさ、俺の感覚だと、ここは「何かしら発信したくなった人間」が最後にたどり着く場所のひとつなんじゃないかと思ってる。

文章でも、音声でも、画像でもいい。
ここで何かを発信しないヒトは、アカウントをそっと凍結するか、二度とログインしないか、そんな類のプラットフォームだと思うんだ。

だからこそ、ここに残る文章には、その人の“素”がどうしてもにじむ。

だから、多くのヒトがここで、何かを書いて、何かを読んで、何かを掴んだり、何かを手放したりしている。

写真やCG、絵画で勝負しているヒトもたくさんいる。
でも、文章オンリーで自分と向き合っているヒトの割合って、思っているよりずっと多いはずだ。

今回は、今まで書いてきた「あんた自身のスキのコア」と、「文章で発信する」という行為そのものに目を向けてみる回だ。

ちっと、俺たちの行動原理について考えてみようぜ。


俺が学んできたこと

まず、俺自身の話からしようか。

俺の場合、noteの記事ってのは、「俺のことを知ってもらうための名刺」みたいな感覚があるんだよな。
そのために、自分がどう生きてきたかを一度客観的に見て、「俺」というキャラクターを組み立て直しているところがある。

中国輸入の失敗。
学生時代に夢中だったテーブルトークRPG。
システムエンジニアとしての仕事。
家族とのあれこれ。

そういうもの全部の影響を受けて「今の俺」がいる。
その「今の俺」が、note上で「俺」というキャラクターを作り直している。

なんでそんな回りくどいことをするんだ、って?

そのまま書いたら、ただの感情ダダ漏れの俺になっちまうからだ。

仕事でムカついた。
家族にイラついた。
社会に文句を言いたい。

そういう生々しい感情そのままを、何のフィルターも通さずに名刺代わりに差し出せるほど、俺は器用でもなければ酔狂でもない。

だから、一度「キャラクター」としての俺を立てる。
「こういう背景があって、こういうスキがあって、こういう失敗をしてきたやつが、こういう視点で話している」という、ひとつの“像”を作ってから書く。

そうすると、ただのグチや日記じゃなくて、
「ああ、こういうヤツの目からは世界がこう見えてるんだな」
ってところまで、やっと届けられる気がするんだ。

ななめ下から世界を見る理由

でもな、もうひとつ大きな理由がある。

上から鳥瞰図みたいに世の中を眺めるのは、オモロくない。

世の中を俯瞰して語る人は、すでに山ほどいる。
ニュース解説、評論、専門家のコラム。
知識量でいったら、俺だってそこそこはあるかもしれないが、本職の専門家には絶対勝てん。

だから俺は、「ななめ下から物事を眺める」ってのを意識している。

  • 現場の空気がまだ鼻に残っている高さ。

  • 汗とか、怒鳴り声とか、ため息とかが、まだ耳に引っかかっている位置。

  • その場所から、ちょっとだけ上を見上げて世界を眺める。

そこには、広範囲のヒトと関わってきたことで得た、「浅く広く」な知識がある。
それを、自分の言葉で少しずつ深めていくための場所として、noteを使いたいと思っている。

ニュースで扱われる情報と、現場の空気越しに見上げた世界って、同じ出来事でも色が違うんだよ。

「こんなしくみです」と説明される世界と、
「そのしくみが現場でどう歪んで、誰が泣いてるか」を知っている世界。

俺は後者の色を、ななめ下から書きたい。

要するに、俺の名刺は、俺が世の中を見るためのメガネでもあるってわけだ。

俺たちが日々演じていること

もうひとつ、別の角度から考えてみる。

普段の生活を見てもさ、俺たちは実にいろんな「役」を演じている。

父親の役、長男の役、夫の役、プロジェクトマネージャの役、一担当者の役、先輩の役、後輩の役……。
挙げればキリがないくらいの役を、息をするように演じ分けている

そう考えると、俺たちは誰もが「日常」というロールプレイングゲームをやっているようなもんだ。

経験値を積み、ゴールド(給料や信用)を集め、さらなる武器(スキルや肩書き)を手に入れて、なんとかクエストをクリアしていく。

だが、その途中には、いろんなイベントが文字通り襲いかかってくる。

理不尽なクレームや、それよりもっと厄介な理不尽じゃないクレーム対応。

方向性が見えないトラブルで掴むべき手はどれだ?と逡巡する瞬間。

一歩も動けなくなりそうな悲しみ。

そういうものを食らいながら、それでも立ち上がる役を、俺たちはずっと演じてきた。

例えばさ、ニュースで「物流業界のDX化」がどうのこうのって見たとするじゃんか。
それよりも、死んだような顔で荷物を届けてくれる配達員さんの苦悩の方がよっぽどドラマになる。

もっと言うならそのヒトの笑顔を見たくなる。

だったらさ。
その「役」のひとつとして、「noteで、ちっと普通と違う視点でものを書く役」があっても、別にいいじゃないか。

苦しみも“芸の肥やし”にしてしまう

正直に言う。
noteを書くのはしんどい。
書こうという意思はあるのに、何一つ言葉が浮かんでこない日だってある。

ネタを思い出して、それを言葉にして、読んだ人にとっての意味まで想像して、それでも「スキ」が1桁で終わる日だってある。

それでも書くのは、「スキ」がついたときの嬉しさを知ってしまったからだ。

苦しみながら書いたnoteに、ポンと「スキ」がつく。
コメントで「ここ刺さりました」と言われる。
それは、給料明細とはまったく別の方向からやってくるご褒美だ。

でも、そのご褒美の味をちゃんと感じるためには、こっちもそれなりに“役作り”をしておかないといけない。

それをやらないと、ただの感情の垂れ流しになるか、毒にも薬にもならない何かを量産することにつながりかねない。

でも役作りは、それなりに苦しむ必要がある。
自分の過去をえぐり返して、中国輸入の失敗も、TRPGのズブズブの没入も、SEとしての毒饅頭仕事も、ぜんぶ一回言葉にし直さないといけない。

しんどい。
でも、そのしんどさも含めて、「全部俺の芸の肥やしになってる」と、今は割り切っている。
ホントになっているかどうかは別にして気持ちの問題よ。き・も・ち!

TRPGでキャラクターを組み立て、中国輸入で「何かをやめる決断」を経験し、SEで現場のリアルと折り合いをつけてきた。

その全部が、今「noteで書く俺」という役を、少しずつマシなものにしてくれている。

あんたは、どんな“役”で書いてる?

なあ、あんたはどうだい?

あんたもここで何かを書いているなら、
今どんな「役」でnoteを書いていると思う?

「ただの日記を書く自分」なのか?
「誰かに何かを届けたい自分」なのか?
「ちょっとカッコつけた自分」なのか?
「現場からななめ下目線で世界を見る自分」なのか?

どれが良い悪いじゃない。
ただ、自分が今どんな“役”で書いているのかを、一度ちゃんと意識してみると、文章の色がはっきりしてくる。

あんたの役をうまく演じるための演出を考えて、しっかりと喜怒哀楽を表現しながら、あんたの素の部分、つまりあんたの「スキのコア」を忘れずにいる。

それができていれば、たとえ「スキ」が少なくても、たとえ数字が伸びなくても、そのnoteは、間違いなくあんたの名刺であり、あんたのメガネになる。

そして、いつかどこかで、その名刺を見て「会ってみたい」と思う誰かや、
そのメガネを通して「ああ、こういう世界もあるんだな」と感じる誰かが、必ず出てくる。

なあ、あんたは今、どんな“役”でnoteを書いてると思う?

その役は、あんたの「スキのコア」と、ちゃんとつながってるかい?

#ロールとスキのコア

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