208.ローマ9:24−26 神のあわれみの御言葉
24,このあわれみの器として、神は私たちを、ユダヤ人の中からだけでなく、異邦人の中からも召してくださったのです。
25,それは、ホセアの書でも神が言っておられるとおりです。
「わたしは、わたしの民でない者をわたしの民と呼び、愛されない者を愛される者と呼ぶ。
26,あなたがたはわたしの民ではない、と言われたその場所で、彼らは生ける神の子らと呼ばれる。」
異邦人がユダヤ人と同じような神の召しを受け、子とされ、礼拝するものとされ、神に仕えることについて、複雑な思いを抱いていたのはユダヤ人でした。
特にパウロの異邦人伝道を快く思わないユダヤ人たちは、パウロがモーセの律法を破るように教えていると誤解して、さらにはエルサレム神殿にパウロが異邦人を連れ込んだとの勘違いから大騒動となり、やがてパウロが聖霊によって示されたとおりにローマまで行くことになるのですが、それはこの騒動の裁判のためだったのです。
そのような騒動を見越していたかのように、パウロはユダヤ人でもよく分かるように、旧約聖書からの御言葉を引用して、異邦人が神の民となり、神に愛される者となり、生ける神の子らと呼ばれるようになる、と立証します(ホセア1,2章)。
ホセア預言はもともと、神に背いたイスラエルの回復を予告したもので、直接異邦人のことを言っているわけではありませんでした。
でも、神に背いている事実は、イスラエルも異邦人も全く同じです。
交わりの回復のためにあわれみを受けることにおいて、ユダヤ人も異邦人も、違いはありませんでした。パウロはそのことを、ホセア預言に見て取ったのです。
すべての人は、神のあわれみにより、イエス・キリストの贖いによって、救われるのです。
全て、御言葉の約束のとおりなのです。
考えてみましょう:神のあわれみは、律法を正しく守る人に対して与えられるものでしょうか。それとも守れなかった人に向けられているでしょうか。あなたには神のあわれみが与えられていますか。
