187.ローマ9:1-3 神の愛による心の痛み
1,私はキリストにあって真実を語り、偽りを言いません。私の良心も、聖霊によって私に対し証ししていますが、
2,私には大きな悲しみがあり、私の心には絶えず痛みがあります。
3,私は、自分の兄弟たち、肉による自分の同胞のためなら、私自身がキリストから引き離されて、のろわれた者となってもよいとさえ思っています。
パウロの悲しみ、心の痛みは、自分の兄弟たち肉による自分の同胞に関することでした。
彼らはキリストから引き離されていて、呪われた者となっているのです。
イエス・キリストを知る以前のパウロは、「呪われた者」に対する思いは「呪い」でしかありませんでした。
「神に敵対している者たち」と考えられる人々は全て、パウロにとっては敵であって、呪われ、死に至らしめられるべき者たちだったのです。
そこには、愛の一かけらもありませんでした。
イエス・キリストを知ってからは、パウロは全く反対の生き方に変えられます。
呪われている人々こそが救われなければならない、その人々に対してこそ神の愛が示されなければならない、と、真実、偽りなく思うようになったのです。
けれども、呪われている人の代わりに神から引き離されて、自分が呪いを受けることで、その人を救うことができるのは、イエス・キリストだけだということも、パウロはよくわかっていました。
その上で「呪われたものとなっても良いとさえ思っています」とは、同胞に対する思いが神の愛に通じるものだ、ということを証ししているのです。
キリストだけが、神から離れ呪われた状態で神の怒りのもとにある者を救うために、自ら神から引き離され、呪われたものとなって、十字架の死を迎えた、歴史上ただ一人の方なのです。
考えてみましょう:あなたがキリストに属していることであなたに敵対しているように見える人々に対して、あなたはどのような態度を示していけるでしょうか。
