204.ローマ9:20−21 自分はなぜこんな自分?
20,人よ。神に言い返すあなたは、いったい何者ですか。造られた者が造った者に「どうして私をこのように造ったのか」と言えるでしょうか。21,陶器師は同じ土のかたまりから、あるものは尊いことに用いる器に、別のものは普通の器に作る権利を持っていないのでしょうか。
頑なになっているイスラエルについて考えていたと思ったら、急に私たち自分の話になっています。
神に言い返すことをなんとも思わないでやってしまえるのは、創造主の権威が想像もつかないからにほかなりません。
「人よ」とパウロが呼びかけていますが、人間だれでもこの考え方の傾向にハマっていることを知ってのことです。
異邦人に特にこの弱さが現れるかもしれませんが、ユダヤ人も同じ弱さを持っていました。
旧約聖書の知識があっても必ずしも神を知っているとは言えないからです。
それが真実のイスラエルかどうかという問題でした。
パウロは神の創造主としての権威を陶器師の例えで解き明かし、私たちがその真のイスラエルを正しく理解するように導いています。
造られた者が造った者にたてつくことはあり得ないのです。
私たちはみな、造られたものです。
「どうして私をこのように造ったのか」と問いただしたいのは、ユダヤ人も異邦人も同じです。
たぶん、最も大きな疑問は、なぜ私をこんな罪人にしたのか、かもしれません。
罪を犯さないようなものにしなかったのはどうして?!
パウロはここで、尊いものと普通のものの二つをあげていますが、たとえば異邦人からみてイスラエルが特別に尊い使命を帯びて神に備えられているとは考えにくいかもしれません。
人間の判断では計り知れない神のご計画がある、と、考える必要があるでしょう。
考えてみましょう:神のご計画の中で、あなたに与えられている使命があると思いませんか。どうして自分はこのような者であるのかと問う時、何か使命のためと考えられないでしょうか。
