200.ローマ9:15−16 神に愛されている
15,神はモーセに言われました。
「わたしはあわれもうと思う者をあわれみ、いつくしもうと思う者をいつくしむ。」
16,ですから、これは人の願いや努力によるのではなく、あわれんでくださる神によるのです。
神はだれをあわれみ、いつくしむか。
興味深いのは、「あわれもうと思う者をあわれみ、憎もうと思う者を憎む」と神は言っていないことです。
神の思いは、あわれみといつくしみに向けられているようです。
しかも、あわれみ、いつくしむ対象を選ぶのに、人の願いや努力によるのではない、と明確にされている点。
人が、自分に神の心を向けてもらいたいと願ったり、気に入られようと努力をした結果、神がその人に心を向けるようになるのではない、ということ。
むしろ、聖書が明言しているのは、一方的に「神はこの世を愛して下さった」ということです(ヨハネ3:16)。
だれか特定の人にだけ愛が向けられたのではなく、この世のすべての人。
私たちすべてが、私たちの願いに従ってではなく、また私たちの努力に従って、でもなく、神に愛されているということです。
神に楯突く罪人を神は憎んだのではありませんでした。むしろ、キリストの死によって私たちへの神の愛は示されたのです(ローマ5:8)。
考えてみましょう:あなたが神に願った結果、あるいはあなたが努力した結果、神はあなたを愛するようになったのでしょうか。
