201.ローマ9:17-18 エジプトのファラオの場合
17,聖書はファラオにこう言っています。
「このことのために、わたしはあなたを立てておいた。わたしの力をあなたに示すため、そうして、わたしの名を全地に知らしめるためである。」
18,ですから、神は人をみこころのままにあわれみ、またみこころのままに頑なにされるのです。
ファラオはイスラエルを奴隷として囲い込み、追い込む側でした。
当時の世界で最も強大な王国。
もし神の介入がなければ、イスラエルが解放されることは決してなかったでしょう。
そして、ファラオもイスラエルの神の力を知ることはなかったはずです。
その過程で、ファラオは頑なにイスラエル解放を拒否します。
自らの威信にかけて絶対にイスラエルを解放しない、と(出エジプト7:8-9:7)。
そして神によってその頑なさが最後まで塗り固められてしまいます(出エジプト9:8)。
そこで、ファラオは命を司る神の底しれぬ力に圧倒されることになったのでした。
その頂点は、エジプトのすべての初子の死であり、紅海にエジプトの軍隊が飲み込まれた出来事です。
ファラオ自らが、間近に経験させられたのでした。
しかし、それがファラオに対する神のあわれみでもあったと言えるのかもしれません。
神の力を知る最大の機会となったのですから。
一人の宣教師が全世界に神の力を知らせることは、普通は不可能です。
けれども、ファラオは、それができた、唯一と言ってもいい人物とされたのでした。
(想像でしかありませんが、エジプト軍が紅海で全滅した時にファラオは生きながらえたのでは、と思いたいところです。)
考えてみましょう:あなたは自分を頑ななところがあると思いますか。それを続けて神の力で覆される経験をしたいでしょうか、それとも悔い改めてあわれみによるみわざを経験したいですか。
