216.ローマ10:1-2 神の知識
1,兄弟たちよ。私の心の願い、彼らのために神にささげる祈りは、彼らの救いです。2,私は、彼らが神に対して熱心であることを証ししますが、その熱心は知識に基づくものではありません。
神を知っている、と言えるのは、どういう人なのでしょうか。
パウロはその点で、非常に特異な経験をした人でした。
ユダヤ教パリサイ人として、クリスチャンを迫害するために旅をしていたところで、天からの光に包まれ、天からイエス・キリストの声を聞いたのです。
周囲にいた付添いの人たちも見ていました。
さらに、天からの光のために目が見えなくなっていたパウロに人が会いに来るとそこで言われた通りに、アナニアという人がダマスコのパウロの居場所にやって来ます。
アナニアは神の指示でパウロの目を開くために来たのでした。
迫害者の目をあけるなど誰が!といった感じです。来たくて来たわけではありません。
アナニアがパウロのために祈ったところで、目からウロコのようなものが剥がれ落ちて見えるようになったのです(使徒9章)。
神の知識は出来事の真偽だけではなく、そこに神の愛が表されていることに大きな意味があります。
敵であるパウロのために、しかも携帯電話もない時代にパウロに起こった出来事をアナニアは知り得てやってきたことは、神による愛の奇跡としか言えないものでした。
こうした記事に神の心を見て、すべての人のために十字架にかかり、パウロに語りかけたキリストを信じる時、私たちも神を知るのです。
考えてみましょう:神の愛の出来事の記事を記している言葉を自分の心に蓄えることにどのような意義を感じますか。
