100.ローマ5:16 恵みの賜物
また賜物は、一人の人が罪を犯した結果とは違います。さばきの場合は、一つの違反から不義に定められましたが、恵みの場合は、多くの違反が義と認められるからです。
さばきの場合は、一人の罪過の行為の結果、罪に定めることとなりました。罪を実際に行ったのですから、その人が罪に定められるのは当然です。
恵みの恵みたる所以は、実際にすべての人が罪を犯す生き方に陥っていて、本来であれば当然、すべてが罪に定められて終わるところを、一足飛びに義と認められる、という点。
義とされるに当たって、ただ神の恵みによるイエス・キリストの贖いによることは、3章~4章で十分に語られてきていました。
ここではさらに、イエス・キリストへの信仰によって、罪が赦されて負債がなくなっただけではなく、さらに賜物が与えられる、つまりプラス・マイナス・ゼロではなく、プラス・アルファになっているのです。
プラス・アルファとは、神のいのちに生きる、ということ。
それにあたっても、やはり恵みの原理が支配していることには違いはありません。
義とされて、神のいのちに生きる力が与えられ、聖霊に導かれる生き方に変えられていく。そのような恵みの賜物が、からだに染み付いている多くの違反を覆いつくすほどに与えられたのでした。
考えてみましょう:罪の世の中に生きているのだから罪を犯すことからは逃れられないし、やめることは無理だ、と思いこんではいませんか?
