211.ローマ9:30-31 信仰による義
30,それでは、どのように言うべきでしょうか。義を追い求めなかった異邦人が義を、すなわち、信仰による義を得ました。
31,しかし、イスラエルは、義の律法を追い求めていたのに、その律法に到達しませんでした。
パウロは神によってイスラエルが子孫を残されていることを理解しています。
でも全く背いている現状からいったいどんな道筋でイスラエルの救いにまで至るのでしょうか。
もう一度、異邦人が神の義を得た点を振り返ってみます。
イスラエルが神の義を得るための道筋も違いはないはずなのです。
ユダヤ人を始めギリシア人にも、と始まった福音でした。
さて、私たちも含め、異邦人は神の義を何とかして得ようなどと思いもしていなかったのに、神の義を得るに至ったのです。
神の義はおろか、天におられる唯一の創造主である神について、想像することもできなかったのです。
それなのに、信仰を持つに至ったのでした。
信仰によって義を得たのです。
一方、イスラエルは神の義を必死に追い求めていたのに、それを得られなかったのでした。
神の義をすでに得ている異邦人を横目に見ながら、イスラエルはどんな思いでしょうか。
イスラエルの「肉」の思いは、民族の記憶、伝統にしがみついてしまっていたこと。
義の「律法」を追い求めていたのです。
でも、その律法に到達しませんでした。
何を追い求めるべきだったのでしょうか。
異邦人が義を得たように、「信仰」に鍵があるのです。
考えてみましょう:あなたは信仰を追い求めて得ましたか。どのようにして得ましたか。
