181.ローマ8:34-35 キリストの愛から引き離されない
34,だれが、私たちを罪ありとするのですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、しかも私たちのために、とりなしていてくださるのです。35,だれが、私たちをキリストの愛から引き離すのですか。苦難ですか、苦悩ですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。
私たちは罪に定められることはない、との宣言が8章の初めにありましたが、その結論は、何ものも私たちをキリストの愛から引き離すものはない、ということなのです。
天において私たちのとりなしをして下さっているキリストは、義務感から務めを果たしているわけではありません。
キリストの愛がとりなしの源泉です。
そしてその愛を受けている私たちはキリストへの愛を失うこともないのです。
この世にいる間、肉のからだに降りかかってくる苦難、苦悩、迫害、飢え、裸、危険、剣などは人格の現れである霊の結びつきを切り裂くことはできないのです。
肉に関わる律法や宗教でつながっていようとしているわけではないからです。
御霊に従って生きるとは、人格を持った御霊が御言葉に教えられている事々を私たちに語り掛け、御霊が私たちの心の内に注いでくださる愛によって自発的に実践することです。
決して引き離されることのないキリストの愛を受けているのですから、この歩みを一歩一歩、続けていきましょう。
考えてみましょう:永遠の天に至るまでキリストの愛から引き離されないことを、たとえ苦難の中であってもキリストの愛を確認できることから確信できるでしょうか。
