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213.ローマ9:31-33 神の約束の言葉に書いてあるとおり

31,しかし、イスラエルは、義の律法を追い求めていたのに、その律法に到達しませんでした。
32,なぜでしょうか。信仰によってではなく、行いによるかのように追い求めたからです。彼らは、つまずきの石につまずいたのです。
33,「見よ、わたしはシオンに、つまずきの石、妨げの岩を置く。この方に信頼する者は失望させられることがない」と書いてあるとおりです。

ローマ人への手紙9章31-33節;新改訳聖書2017版


  イスラエルは「つまずきの石」につまずいたのです。

33節「見よ」以下、引用している預言者イザヤの言葉のとおりです(イザヤ28章16節、8章13-14節) 。

イザヤはイエス・キリスト誕生の700年前の時代の人物でした。



  ユダヤ人だったら、パウロが部分的に引用した預言の言葉を、その本来の文で暗唱していたはずです。

そこでは、「主」こそが信頼すべきお方であったのに、この「主」がイスラエルにとってつまずきの石、妨げの岩になる、と預言されていたのでした。


  確かに、神の約束の言葉通りに、イスラエルは「主」につまずき、「主」を自分たちの中から排除してしまいました。

「イエス」がいる限りイスラエルに混乱がもたらされてしまう、と誤った確信を抱き、ローマの官憲に引き渡して無理やり十字架刑にさせてしまったのです。


  でも本当は、イエスこそが「主」であり、この方に信頼するものは失望させられることはないお方でした。

約束された救い主であって、約束された働きを成就してくださる方。

しかも、神の愛を完全にその行為において表し得た唯一の方として、信頼すべき方だったのです。


  イスラエル民族の歩みを予告する言葉が、その数百年前にすでに記されている。それが神の約束のことばなのです。


考えてみましょう:あなた自身について、聖書に記されていることばがその通りに当てはまると感じたことがありますか。



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