見出し画像

198.ローマ9:11-13 神はエサウを憎んだ?  

11,その子どもたちがまだ生まれもせず、善も悪も行わないうちに、選びによる神のご計画が、
12,行いによるのではなく、召してくださる方によって進められるために、「兄が弟に仕える」と彼女に告げられました。
13,「わたしはヤコブを愛し、エサウを憎んだ」
と書かれているとおりです。

 ヤコブは愛され、エサウは憎まれた。

こう書かれると、理由もなく神に憎まれる人も出てくるということか、と思ってしまいそうです。

ただ、パウロはこの言葉をマラキ預言書から引用しています。そこで語られている問題は、イスラエルが神に愛されていることを全く認知できていなかったことでした(マラキ1:2)。

 本当は神に愛されているのに、愛されていないと思い込んでいるイスラエルに向かって、神は極端な言い回しで愛を印象付ける言い方をしていたのです。


 エサウについてのこの預言は、今の世の終わりにはその名で呼ばれる地域なり人々が、文字通りになっていくのでしょう。

その時には、間違いなくイスラエルも神の愛を認めるようになるのだと思います。


 一時の状況から判断しがちなところが、私たち人間の「肉」の弱さであり、限界かもしれません。

それでも、神の言葉を文字通りに受け止めようとしたときに真意がわかるように聖書は書かれ、伝えられてきています。


 いったい、何が本当に神の言葉なのか。

情報が溢れかえるほどにある現代ですが、永遠の神の真理を表す情報は、一貫して歴史に存在し続け、今なお、世界中に実際に働きかけている言葉であるはずです。


考えてみましょう:約束をコロコロ変えて一貫性がないとしたら、神の約束として信じられ得るでしょうか? もしあなた自身が自分の約束をそのように扱っていたら、他人から信頼されますか?



いいなと思ったら応援しよう!