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186. ローマ8:39-9:2 良心の声からくる悲しみ

39,高いところにあるものも、深いところにあるものも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。
1,私はキリストにあって真実を語り、偽りを言いません。私の良心も、聖霊によって私に対し証ししていますが、
2,私には大きな悲しみがあり、私の心には絶えず痛みがあります。

ローマ人への手紙8章39節₋9章2節;新改訳聖書2017版

 「私たち」の最大の幸福を喜ぶ一方で、大きな悲しみ、大きな痛みが絶えずあるのがパウロでした。

何者も私たちを神の愛から引き離すことができないことが真実であって、キリストにある者として、偽りを言わないと言っていますが、同じように、悲しい事実があることにここから言及していきます。


 その内容に入る前に、キリストにあって真実を語る、とはどういうことなのか考えてみましょう。


 キリストにあって、とは、文字通り、パウロがいつもキリストが共におられることを意識しているあらわれです。

キリストによって聖徒とされている者は誰でも、御霊に導かれる。

この御霊の助けがあって「私の良心」の声にも自分から素直に耳を傾けることができるようにされるのです。


 自分が正しいことをしている、良いことをしている、と、独りよがりに思っているのではなく、第三者の目が自分のうちにあることで、あやまちに陥ることを減らせるはずです。

それが、聖霊によって発言する良心の声です。


 自分が何かを志したり、したいと願うことが全て聖霊の導きの結果であると考えるのは行き過ぎでしょう。

御言葉の教えから外れたことがまだ肉に埋め込まれて染み付いていることも事実なのですから。


 御言葉に教えられていることを良心に蓄えながら日々を送ることで、良心を育てることになる。聖霊に教えられつつ、歩みましょう。


考えてみましょう:良かれと思って他の人に関わってもいつも良い結果を得られないのではありませんか。他者に関わる時に聖霊の導きを得るとはどうすることでしょうか。



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