153.ローマ8:5 御霊に従う者
5,肉に従う者は肉に属することを考えますが、御霊に従う者は御霊に属することを考えます。6,肉の思いは死ですが、御霊の思いはいのちと平安です。
パウロはユダヤ教のパリサイ派に属していて、律法による義については非難されるところがない者と自負できるほどの人物でした(ピリピ3:6)。
ユダヤ社会の中では完璧に民族の慣習を行える常識人の鑑。それでも「自分にとって得であったこのようなすべてのものを、キリストのゆえに損と思うようになりました」と言うまでに考え方が変化したのです。
それは御霊に従うことを知ったからでした。
律法の教え、特に慣習法として限りなく増えていた伝承規則は、義務として絶対に守らなきゃならないし、従わない者は、ユダヤ人社会の一致を乱す者として憎むべき者扱い。
決して愛すべき隣人にはなり得なかったのです。
文字に支配されていたからでした。
生ける神を人格的に知って、自分が神に愛されていることを悟った時が、パウロのターニングポイント。
そこから「御霊に属する」「御霊の思い」を考えるようになったのです。
キリストの言葉を文字で知っているというレベルではない、ということです。
心に伝わってくるキリストの言葉とは、心の中に住んでいる聖霊の働きによって、個人的にその人の心に対して語られるものです。
そして、独りよがりな解釈に陥らないようにと、神は聖霊の住まいとしての教会の、広い交わりを備えてくれているのです。
考えてみましょう:御霊に導かれていることは身に起こる奇跡で実感するもの、と思っていませんでしたか。
(写真は、2021年10月、ジャカルタの空港で。Covid-19検査)
