190.ローマ9:4 神の栄光の歴史
4,彼らはイスラエル人です。子とされることも、栄光も、契約も、律法の授与も、礼拝も、約束も彼らのものです。
すべての人が罪を犯して神の栄光を受けられなくなっている(ローマ3:23)のですが、古のイスラエルには神の栄光が現されていた時があったのです。
はじめは出エジプトの時。荒野を行軍しているイスラエルに、雲のうちに主の栄光が現れました。
シナイ山で律法が与えられる時、主の栄光が山の上にとどまります。
神の幕屋がイスラエルの宿営の中央に建て上がった時に雲が覆い主の栄光が幕屋に満ちました。
さらにはエルサレム神殿が建て上がり、奉献式でソロモン王が祈り終わったところで、主の栄光が神殿に満ちた、と記されているのです。
いったいどんな光景が広がったのか、想像もつきませんが、大事なことは、そこに神がおられるということを人間が五感で認められる現場だったということです。
神が共におられる。
新約時代の聖徒たちにとってはこれが日常になるのですが、歴史を見直すと、この事がどんなにすごいことかを改めて思わされます。
世界の中で唯一、神の栄光の証人であったイスラエルもまた、それを失っていました。その回復のためにも、イエス・キリストは来られたのです。
考えてみましょう:神がいるなら見せてみろ、神の栄光を見せてみろ、と言われたらどうしますか。
