98.ローマ5:14b アダムはイエスの型
14 けれども死は、アダムからモーセまでの間も、アダムの違反と同じようには罪を犯さなかった人々さえも、支配しました。アダムは来たるべき方のひな型です。
アダムは何をしたのでしょうか。食べるとその日に死ぬからと神が禁じられたその実を受け入れ、妻と一緒に食べました。
そして、まさにその日、彼は自分の罪を神になすりつけて言ったのです。「私のそばにいるようにとあなたが与えてくださったこの女が、あの木から取って私にくれたので、私は食べたのです。」
このひとりの人によって罪が世に入り、罪によって死が入り、その結果、すべての人は生まれたときから死に支配され、神に対して反抗する罪人となったのです。
同じように、一人の人によって、人類の罪は最終的に贖われたのです。すなわち、アダムの後に来られた、人であるイエスによって。
ですから、ここでアダムは「来たるべき方のひな型」、すなわちイエスのひな型と言われているのです。
ただ、イエスは普通の人ではなく、人として生まれた神の子でした。
このイエスを通して、私たち一人ひとりは神の愛を真に個人的な形で理解することができるのです。
なぜなら、私たちが理解できること、そして私たちが実感できることは、この世で経験することに限られているからです。
神の愛についての真理もそうです。
神が払ってくださった犠牲、イエスの死において、神の愛が真に実現されたのでした。
考えてみましょう:人は神に似せて創造されました。では、イエス・キリストに似せて神によって再創造され、新しくされることは可能だと思いませんか。無理だと思いますか。
