182.ローマ8:36 聖徒に対するこの世の迫害
36,こう書かれています。
「あなたのために、私たちは休みなく殺され、屠られる羊と見なされています。」
私たちがキリストに従って生きようとする時に、この世は住みにくい場所になることがあります。
パウロはその典型的な生涯を送りました。
しかもそれは主イエス・キリストの予告で語られていたものでした。
「行きなさい。あの人はわたしの名を、異邦人、王たち、イスラエルの子らの前に運ぶ、わたしの選びの器です。彼がわたしの名のためにどんなに苦しまなければならないかを、わたしは彼に示します。」(使徒9:15-16)
パウロがキリストを信じる前はキリスト者たちを迫害する権力者の側でした。
信じて、キリストの福音を伝える者となった時から、自分がしていたような迫害を受ける側になってしまったのです。
パウロはこのことが神の御心であることを、旧約聖書から引用してここで語っています(詩篇42:22)。
神の契約を忘れずに忠実に歩もうとしていた聖徒が「殺され」るような自体に陥っていることを訴えている詩です。
この世は、旧約時代も新約時代も、聖徒には生きにくい所なのです。(使徒14:22)
それで、イスラエルの民は「神に仕えるのは無駄だ、神は自分を愛していない」という思いにとらわれることにもなったのでしょう(マラキ3:14; 1:2)。
そうした思いから解放されるにも、キリストの贖いが必要だったのです。
考えてみましょう:「すべてのことが共に働いて益となる」とパウロは断言していましたが、そのように思うことができない原因はなにかありますか。
