67.ローマ4:6-8 罪を赦されるさいわい
6,同じようにダビデも、行いと関わりなく、神が義とお認めになる人の幸いを、このように言っています。
7,「幸いなことよ、不法を赦され、罪をおおわれた人たち。
8, 幸いなことよ、主が罪をお認めにならない人。」
ダビデは、姦通と殺人を犯したとき、神から赦され、神の幸福を体験しました。この2つの罪は、律法では死刑から逃れることはできないものだったのに。
ダビデが赦された根拠は何だったのでしょうか。詩篇32篇にこう記されています。
私は自分の罪をあなたに知らせ
自分の咎を隠しませんでした。
私は言いました。
「私の背きを主に告白しよう」と。
するとあなたは私の罪のとがめを
赦してくださいました。
ただ「伝える」「隠さない」、それだけがダビデのしたことでした。
確かにダビデは、神とその力を真に知り、神と親しい関係にあったのです。
人から褒められるために良い行いをするように教育されている私たちにも、良い行いをすることで神の怒りを鎮めたいと願う傾向があるものです。
しかし、世俗的な方法で望むだけではなく、本当に主の言葉に耳を傾ける必要があります。そして、主に告白する正直さと。
考えてみましょう: ダビデは神の目から見て特別な人だったのか、それとも私たちと同じなのか。ダビデの経験は、私たち全員に適用できるのではないだろうか?
