176.ローマ8:29-30 栄光が与えられる
29,神は、あらかじめ知っている人たちを、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたのです。それは、多くの兄弟たちの中で御子が長子となるためです。30,神は、あらかじめ定めた人たちをさらに召し、召した人たちをさらに義と認め、義と認めた人たちにはさらに栄光をお与えになりました。
神のご計画に、義人は信仰によって生きることが定められていました。
罪人であった者が義人とされるまでには、時空を超えて人と対面することができる神ならではのプロセスがあったようです。
しかも、エペソ人への手紙では、天地が創造される前に、とあるのです。
最終目標は「栄光をお与えになる」。その前が、義と認める。
この2つの間だけでもずいぶんと距離があります。
3章でパウロは、神の栄光を失った罪人が義と認められるために、イエス・キリストによる贖いのみわざを神が完成させたことを明らかにしていました。
贖いを成し遂げたイエス・キリストへの信仰によって、義とされたのです。
8章でパウロが再び栄光を話題にするまで、けっこうな分量の解き明かしで、肉のからだの問題解決が提示されていました。
パウロはここで、ひとっ飛びにこれらを俯瞰して、今の時を心のなかでうめきながら歩み続けている聖徒たちに、将来へのビジョンを、すでに「栄光をお与えになりました」と確約されていることを印象付けています。
狭い道を苦労しながら歩んでいるような私たちに、行き先をはっきりと示して、励ましてくれているのです。
パウロが福音を伝えたい、と言っていた目的は、ここにあります(ローマ1:11-15)。
神の良い知らせは、かつて罪人であった私たちが、信仰によって、栄光が確約されている聖徒として神とともに生きていくことなのです。
考えてみましょう:からし種ほどのちっぽけな信仰でも山が動くほどと言われるのですが、あなたが栄光を受けることも確信できるでしょうか。
