199.ローマ9:13-14 神に愛されたイスラエル
13,「わたしはヤコブを愛し、エサウを憎んだ」
と書かれているとおりです。
14,それでは、どのように言うべきでしょうか。神に不正があるのでしょうか。決してそんなことはありません。
パウロの大きな悲しみ、心の痛みは、イスラエルがキリストから離れていることから来ていました。
ではなぜ神のイスラエルがそうなってしまったのか。
神に愛されなかったから?神に不正があったからか?
そうではありません。むしろ、イスラエルこそが偏愛されていたのかと思えるような記述があるほどでした。
双子の兄弟の兄エサウを神は憎み弟のヤコブを愛した、というのです。
それって間違った愛し方なのでは?
パウロは、決して神に間違い不正はないと断言します。
エサウ、ヤコブはアブラハムの孫、イサクの子でした。
エサウは神にどんなふうに憎まれていたの?と気になって、神にどんな扱いを受けたのかを見てみると、財産が多くてヤコブとは一緒にいることができないくらい、その後も族長たちとして記されるべき多くの人々を輩出する民族となっていきます(創世記36章)。
ヤコブと比べたら、神の選びの民という点で違うだけ、というところでした。
イスラエルの特別さとは、結局は神の約束の通りにキリストが現れる民として選ばれた、ということなのです。
キリストがこの世に生まれるには、どこかの民族に属していなければならなかったわけですが、それがイスラエルでした(9:5)。
その選びに、神が不正だと言われるべきことは何もないのです。
考えてみましょう:イスラエルが神に愛される民族として選ばれたことに対して、異邦人である私たちはねたむ気持ちがあるでしょうか。
