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195.ローマ9:9 神の約束のみことば

9,約束のみことばはこうです。「わたしは来年の今ごろ来ます。そのとき、サラには男の子が生まれています。」

ローマ人への手紙9章9節;新改訳聖書2017版

 聖書に記されているイスラエルに関する約束は、誰かが信じたからその通りになる、誰も信じなかったらならない、というような、人間依存のモノではなさそうです。


 その例が、アブラハムの子イサクが生まれる時にすでに起きていたことでした。

神の御使いがアブラハムの妻サラに語った言葉が、「わたしは来年の今ごろ来ます。そのとき、サラには男の子が生まれています。」

サラは心の中で笑い、そうなったら嬉しいけれどそれは有り得ない、と応答してしまいます。

御使いはサラの心を見透かして、「主にとって不可能なことがあるだろうか。わたしは来年の今ごろ、定めた時に、あなたのところに戻って来る。そのとき、サラには男の子が生まれている。」と答えたのでした。

アブラハムもサラも、信仰の応答をしたとは何も記されないままでした(創世記18章1−15節)。


 ローマ人への手紙4章でアブラハムについては「彼は、死者を生かし、無いものを有るものとして召される神を信じ、その御前で父となったのです」と言われ、「神には約束したことを実行する力がある、と確信していました。

だからこそ、『彼には、それが義と認められた』のです」と信仰義認の例とされたのでした(4章17-22節)。


 9章のこの箇所は、キリストに敵対したままにあるイスラエルの状況は御言葉が無効になってしまったことを表しているのではないか、という疑念へのパウロの答えなのです。

確かに、この時点までのイスラエルの状況だけから見たらそう思えてしまうのも無理はないかもしれません。


 「しかし」(9:6)とパウロは語り始めています。

神の約束のみことばは、必ずそのとおりになるとはっきりわかっていました。

神には約束したことを実行する力があると確信していたからです。

考えてみましょう:神の約束を信じるか信じないかあやふやになっていませんか。もしかしたら自分がした約束を実行しようとする気持ちがあやふやであることが原因ではありませんか。



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