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物価は上がっているのに、なぜ豊かにならないのか——お金の流れを、財務諸表のように読む

物価が上がっている。ニュースでは毎日のように「インフレ」という言葉を聞く。それなのに、給料が増えた実感はなく、むしろ生活は苦しくなっている。多くの人が、そう感じているはずだ。

この「おかしさ」は、どこから来るのか。

私は、お金というものを、財務諸表を読むときと同じ目で見る癖がある。「売上が上がった」を鵜呑みにせず、「数量が増えたのか、単価が上がっただけか」を分解する。同じことを、いまの日本経済に対してやってみたい。表面の数字を一枚めくると、まったく違う景色が見えてくる。

先に、この文章がたどり着く場所を言っておく。いま日本で起きている物価上昇は、「本当のインフレ」ではない。 そして、そこを取り違えると、経済の舵を、まるごと切り間違える。さらにその先で、「国の借金」や「将来の子供のために」といった、誰も反対できない言葉が、どんなふうに私たちの判断を狂わせるかも、見ていきたい。

専門用語はできるだけ避ける。ただし、扱う中身は、専門家のあいだでも決着していない、かなり踏み込んだ議論だということは、先に断っておく。


お金は、どこから来るのか—仕訳が教えてくれること

土台として、ひとつだけ、押さえておきたい。「お金は、どこから来るのか」だ。ここが、あとの話のすべてにつながる。

私たちは、なんとなく「銀行は、誰かが預けたお金を、別の人に又貸ししている」と思っている。だが、事実は違う。そして、それを一番はっきり教えてくれるのが、簿記の仕訳だ。

銀行が、企業に1000万円を貸す。そのとき、銀行の帳簿には、こう記録される。

(借方)貸出金 1000万 / (貸方)預金 1000万

ここを、じっくり見てほしい。貸方の「預金」——これが、決定的だ。

銀行は、貸すときに、「すでにどこかにある誰かの預金」を動かして渡しているのではない。借り手の口座に、「預金1000万」を、その場で新しく書き込んでいる。つまり、銀行は、お金を貸すのと同時に、「預金」というお金を、無から生み出している。

かつては万年筆で通帳に記入し、いまはキーボードを叩くだけで、預金というお金が生まれる。これは、私が特殊な解釈をしているのではない。近年は、各国の中央銀行自身が「銀行は預金を又貸ししているのではなく、貸出によって預金を創造している」と、公式に認めている、現代の標準的な理解だ。

この一本の仕訳が、すべてを語っている。借方の「貸出金」は、誰かの借金。貸方の「預金」は、世の中に生まれた新しいお金。 借金とお金が、同時に生まれる。だから、こう言える。お金は、「誰かの借金」としてしか、生まれない。

そして、返済すれば、逆の仕訳が立つ。

(借方)預金 1000万 / (貸方)貸出金 1000万

預金(お金)が消え、貸出金(借金)も消える。借金を返すと、お金が、この世から消える。

ここから、ひとつの、不思議な、しかし重要な結論が出てくる。もし「借金は悪いことだから、みんなで返してゼロにしよう」と本気でやったら、その裏にあったお金が回収され、世の中のお金が一気に縮む。「借金を返す」という一見まっとうな行為が、「お金の消滅」、つまり深刻なデフレを招く。

「借金=家計の借金と同じで、悪」という素朴なイメージは、ここでいったん脇に置いてほしい。お金の話は、家計簿とは、まったく別の論理で動いている。

(なお、細かく言えば現金紙幣なども流通しているが、それは全体のごく一部で、世の中のお金の大部分は、この信用創造——貸出=借金——によって成り立っている。ここで見るべきは構造であって、数パーセントの例外ではない。)


いまの物価上昇は、「痩せたインフレ」だ

本題に入る。

いま、物価が上がっている。だが、この物価上昇には、性質のまったく違う二種類があって、それを見分けられるかどうかが、すべての分かれ目になる。

ひとつは、いま日本で起きている、「痩せたインフレ」だ。

世の中に出回る富の総量(これを仮に「パイ」と呼ぶ)は、100のまま、増えていない。その100のパイの中で、輸入するエネルギーや食料の値段が上がり、円安も重なって、コストが跳ね上がった。企業は、上がったコストを、価格に乗せる。だから、物価が上がる。

ここで起きているのは、「パイが増えたから物価が上がった」のではない。「コストが上がった分を、価格に乗せているだけ」だ。パイは、増えていない。だから、物価は上がっても、給料は上がらない。むしろ、物価に賃金が追いつかず、実質的な生活水準は下がる。

これが、冒頭の「物価は上がっているのに、豊かにならない」の正体だ。見かけはインフレだが、経済が成長して豊かになった結果ではない。コストに押し上げられただけの、痩せたインフレ。国民は豊かにならず、むしろ苦しくなる。

もうひとつの、「本当のインフレ」は、まるで違う。

お金が世の中に流れ込み、パイそのものが、100から120へと増える。お金が増え、需要が生まれ、賃金が上がり、消費が増える。経済が拡大した結果として、物価も上がる。みんなが豊かになりながら、物価も上がっていく、健全なインフレだ。

同じ「物価上昇」でも、この二つは正反対だ。片方は、パイが増えないまま値段だけ上がって、国民が貧しくなる。もう片方は、パイが増えて、国民が豊かになる。

いまの日本で起きているのは、前者。だからこそ、「物価が上がっている=インフレだ=引き締めろ」という反応は、診断を誤っている可能性がある。熱があるように見えて、経済という体は、冷えたままなのだ。


必要なのは、お金を流し込むこと

痩せたインフレの正体が「パイが増えていないこと」なら、やるべきことは見えてくる。パイを増やせばいい。そのためには、お金を世の中に流し込む。

ここで、さっきの仕訳を思い出してほしい。お金は、誰かが借金をすることで生まれる。ならば問題は、「いま、誰が借金をして、お金を生んでいるのか」だ。

かつて、日本の民間企業は、活発に借金をして投資した。その借金が、お金を生み、経済を回した。だが、失われた30年のあいだに、企業は投資を控え、借金を減らし続けた。民間が借金をしなくなれば、新しいお金は生まれない。むしろ返済が進めば、お金は消えていく。これが、デフレが長く続いた、根っこの理由だ。

では、民間が借りないなら、誰が借りて、お金を生むのか。政府だ。 政府が国債を発行して(政府の借金)、民間が生み出さなくなった分のお金を、経済に供給する。これが「積極財政」の、貨幣の面から見た根拠である。銀行の貸出と同じで、国債もまた、借金としてお金を生み、返せばお金を消す。構造は、まったく同じだ。

当然、こう言われる。「そんなに借金を増やして、財政は破綻しないのか」「国債の格付けが下がったらどうする」。

この点は、少なくとも当面のあいだは、過度に恐れなくていい、と考える根拠がある。日本国債の約9割は、国内で保有されている。海外投資家が大半を持つ国は、格下げされると一斉に売り逃げられ、金利が急騰して危機になる。日本は、国内の銀行・生保・年金・日銀が大半を持っているから、そうした投げ売りが起きにくい。しかも、国債は円建てだ。自国通貨建ての借金だから、最悪でも中央銀行が支えられる。実際、日本国債は過去にも何度か格下げされてきたが、そのたびに「危機だ」と言われながら、金利はほとんど動かなかった。

もちろん、これは「永遠に大丈夫」という意味ではない。金利のある世界に戻れば、巨額の残高への利払いが膨らむ。無限に続ければ、いずれ円の信認という別の壁に当たる。あくまで「当面」の話だ。


アクセルには、ブレーキが要る——その正体は「税」

「お金を流し込め」と言うと、必ず返ってくる。「行き過ぎて、インフレが暴走したらどうする」。

もっともな懸念だ。そして、ここに、多くの人が誤解している論点がある。インフレを抑えるブレーキは、「税」である。

私たちは「税金=国の財源。集めて、使うもの」と考えている。だが、お金を発行できる国にとって、税の本当の役割は、それだけではない。税は、世の中に出回りすぎたお金を回収し、過熱を冷ますための調整弁だ。

アクセルは、国債を発行してお金を流し込み、需要を生み、パイを増やすこと。ブレーキは、インフレが行き過ぎたときに、増税でお金を回収し、過熱を冷ますこと。アクセルとブレーキが、これでセットになる。理屈としては、きれいに閉じている。

ただ、正直に難点も書いておく。理屈は閉じていても、現実にそのブレーキをタイミングよく踏めるかには、強い批判がある。増税は国民に痛みを強いるから、政治は決断を先延ばしにしがちだ。金利の引き上げと違って、増税は国会の議決が要る。この「効きの遅さ」が、最大の弱点だ。

とはいえ、いまの日本にかぎって言えば、このブレーキを神経質に考える段階ではない。日本は30年にわたって、賃金が伸びず、むしろ縮んできた。長く苦しんできたのは「インフレの暴走」ではなく、「デフレと低成長から抜け出せないこと」のほうだった。冷えきった体を温めるときは、少しくらい熱すぎるほうが、ちょうどいい。ブレーキの設計を語る前に、まずアクセルを踏むべき局面だ、という順序の話である。

(この判断は「いまの局面にかぎる」。日本は長いデフレから、インフレの局面へと移りつつある。熱が十分に回りはじめたら、この判断は更新しなければならない。)


最大の盲点——流し込んだお金は、本当に実需に回るのか

ここからが、いちばん面白いところだ。積極財政という考え方が抱える、最大の盲点に、私は自分で穴を探してみた。

「お金を流し込めば、パイが増える」。この前提は、本当に成り立つのか。

いまの日本には、昔にはなかった変数がある。新NISAだ。国民は賢くなり、お金を消費ではなく投資に回すようになった。一見、良いことに見える。だが、ここに落とし穴がある。

株や投資信託を買うという行為は、多くの場合、すでに存在する株を、別の投資家から買う取引だ。あなたが投資信託に10万円を入れる。その10万円は、株を売った別の投資家の手に渡る。そのお金は、モノやサービスの消費——実需——には回らず、投資家から投資家へと、金融市場の中をぐるぐる回るだけになる。

お金を流し込んでも、それが投資に吸い込まれてしまえば、パイは増えない。積極財政の効果が、金融市場の中で空回りする。これは日本にかぎらず、世界中で起きている「金融経済と実体経済の乖離」という、現代経済の根本問題でもある。


それでも、お金は「戻ってくる」——ただし、教科書どおりではなく

では、積極財政は、新NISAの時代には効かないのか。ここで、投資に回るお金を、二種類に分ける必要がある。

普通の人がNISAで投資するのは、投資家になりたいからではない。将来使うためだ。老後資金、教育資金、住宅資金。彼らのお金は「消費からの離脱」ではなく、「消費の先送り」にすぎない。だから、時間差はあっても、いずれ実需に戻る。

一方、何億もの資産を転がす、本物の投資家は違う。彼らのお金は「使うため」ではなく「増やすため」だ。何億持っていても、消費する額は限られている。だから、増えたお金を、また投資に回す。彼らのお金は、金融市場を回り続け、実需には戻ってこない。

この二つを混同してはいけない。「投資に回ったお金は実需に戻らない」という批判は、本物の投資家については当たっている。だが、日本のNISAの大半を占めるのは、前者——いつか消費に戻る、普通の人々だ。

ただし、ここに、もうひとつ、現実的な留保を重ねたい。「普通の人が、30年きっちり投資を続けて、老後に綺麗に取り崩す」というのは、理想化しすぎだ。人は、生きているあいだに、お金が必要になる場面に必ず出くわす。そして、必要になれば、崩して使う。満期まで待つのではなく、必要なときにお金に換えて使う——これが、人間の、現実の行動だ。

だから、投資に回ったお金は、「30年、金融市場で眠って、老後に一気に戻る」のでも、「二度と戻らない」のでもない。その中間——数年単位で、不規則に、実需へ戻ってくる。悲観も楽観も、どちらも外れている。現実は、その間にある。


「積み立てれば増える」の裏側——保険という実例

「長期でコツコツ積み立てる」という言葉を、私たちは無条件に信じがちだ。だが、人は本当に、それをやりきれるのか。ここでは、私自身が身を置いていた、保険の世界を例に挙げたい。

まず、確かな事実がある。積立型の保険は、途中で解約すると、返戻金が払った額を下回る。特に早い時期に解約すれば、ほとんど戻ってこない。これは、公的な機関も明記している、動かぬ事実だ。手数料や経費が、先に差し引かれる構造だからだ。

にもかかわらず、人は途中で崩す。元本割れという損失を受け入れてでも、お金が必要になれば、解約して使う。「長期で積み立てて、満期に受け取る」という設計は、多くの場合、その通りには進まない。

さらに、統計の見え方には、からくりがある。「生命保険に長く加入し続けている人が多い」というデータがある。一見、日本人は保険を大事に、長く続けているように見える。だが、この「継続」の裏には、「転換」という仕組みがある。いま入っている契約を下取りに出して、新しい契約に乗り換えさせる——国内の大手生保の多くが、これを軸に営業してきた。

契約者は「同じ会社と、ずっと付き合っている」つもりでも、その中身は、募集人の実績のサイクルに合わせて、何度も乗り換えられている可能性がある。そして乗り換えのたびに、元本割れや、保険料の上昇が生じうる。「長く継続している」という統計の見かけと、「一つの保障を、そのまま持ち続けている」という実態は、大きく食い違っているかもしれない。

私は、この業界にいたとき、契約者の利益にまったくかなわない乗り換え——たとえば、ある終身保険をやめさせて、また別の終身保険に入れ直させるような営業を、目にしてきた。同じ終身なら、乗り換える合理的な理由は、基本的にない。契約者は元本割れし、保険料は上がり、場合によっては、昔の有利な条件を失う。ではなぜ、それが行われるのか。新規契約の手数料が、募集人や代理店に入るからだ。契約者の損が、募集人の儲けになる。利益が、真っ向から相反している。

ここで大事なのは、個々の募集人を「悪人だ」と断じることではない。手数料が新規契約にしかつかない、という報酬の構造そのものが、乗り換え営業へと人を駆り立てる。仕組みが、人を動かしている。私が言いたいのは、「積み立てれば増える」「長く続けている」という表面の言葉の裏で、実際にはお金がどう動いているのかを、一枚めくって見るべきだ、ということだ。


個人にとっての答え——「殖やしながら、使う」

では、個人は、どうすればいいのか。

保険が抱えていたジレンマは、「貯めると使えない、使うと貯まらない」だった。解約すれば保障が消え、途中でやめれば元本割れする。持ち続ければ、生きているうちには使えない。

投資信託は、この二択を乗り越えられる。まず、途中で売っても、元本割れするとは限らない。売るときの相場次第だ。そして何より、一部だけを取り崩せる。 全部を売らず、運用は続けたまま、必要なぶんだけ、少しずつ引き出せる。

すると、こうなる。運用は続くから、お金は殖え続ける。同時に、必要なときには、必要なぶんだけ使える。「30年我慢して老後に一気に使う」でも、「殖やすのが目的で一生使わない」でもない。殖やしながら、使う。 これが、正解に近いのではないか、と私は思っている。

ただし、簡単ではない。「どれだけ取り崩していいか」の判断が要る。取り崩しすぎれば、元本が減って殖える力が落ちる。取り崩さなすぎれば、結局「使わない人」になる。この、取り崩しのペース配分の設計こそが、いちばん難しく、いちばん価値のあるところだ。


「国の借金」と「将来の子供」——誰も反対できない言葉を、疑う

最後に、この構造を踏まえて、いま世間に溢れている、二つの言葉を検証したい。

ひとつは、「国の借金を、国民が返せ」という主張だ。

だが、ここまで読んでくれた人なら、もう分かるはずだ。国債は、借金としてお金を生み出す仕組みそのものだ。もし本当に、それを国民の税金で「返済」したら、その分のお金が経済から消える。破滅的なデフレが起きる。「国民が国の借金を返す」は、良いことどころか、経済を壊す行為に近い。「国の借金」という言葉が、「国民が背負い、返すべき、外部への借金」という誤ったイメージを植え付け、それが増税の正当化に使われている。

もうひとつは、もっと強力だ。「将来の子供のために」。

これは、誰も反対できない、魔法の言葉だ。だからこそ、疑う必要がある。

まず、問いたい。いまを生きる私たちも、かつては「将来の子供」だった。私たちの人生は、犠牲にしていいのか。そして、その「将来の子供」とは、いつ生まれる、誰なのか。定義はない。10年後の子か、100年後か。「将来の子供」は、具体的な誰かではなく、いつまでもやってこない、抽象的な未来だ。だから「将来の子供のために」は、達成されることのない目標になり、現役世代に、無限の我慢を強いる口実になりうる。

そして、最大の矛盾はここだ。本当に将来の子供のためを思うなら、いま緊縮して経済を縮ませ、貧しい国を遺すのか。それとも、いま経済を育て、豊かな国を遺すのか。答えは明らかだ。「将来の子供のために、いま我慢せよ」という主張は、将来の子供に、縮んだ貧しい経済を遺す、自己矛盾にほかならない。

同じ「将来の子供のために」という言葉を使いながら、緊縮を導く道と、成長を導く道がある。どちらが本当に子供のためか。私は、後者だと考えている。

もうひとつだけ、筋の話をさせてほしい。もし、それでもなお「国民が負担すべきだ」と信じて、政策を進める者がいるなら、問いたい。それだけの重い決断を国民に強いるなら、あなた方は、その責任をどう取るのか。企業なら、経営判断を誤ったトップが辞任し、責任を示す。痛みを求める側が、まず痛む。その当たり前の順序が、なぜ政治には欠けているのか。


おわりに

長い道のりだった。整理しておく。

お金は、誰かの借金として生まれる。それは、銀行の貸出の仕訳を見れば、疑いようがない。だから、民間が借りない今、政府が借金をして(積極財政)お金を供給しなければ、経済は縮む。いまの物価上昇は、パイが増えないなかでコストだけが上がる「痩せたインフレ」で、必要なのは引き締めではなく、お金を流し込むことだ。その効果は、投資に一部吸われても、時間差で、不規則に、実需へ戻ってくる。個人にとっての答えは、「殖やしながら、使う」。そして、「国の借金」も「将来の子供のために」も、その言葉の裏で、お金が実際にどう動くかを見れば、多くが逆さまだと分かる。

伝えたかったのは、個別の結論そのものよりも、お金の流れを「財務諸表を読むように」分解して見る、という姿勢だ。

「物価が上がった」を鵜呑みにせず、「パイが増えたのか、コストが上がっただけか」を分ける。「積み立てれば増える」を鵜呑みにせず、「人は本当に続けられるのか、その裏で誰が儲けるのか」を見る。「国の借金」「将来の子供のために」という、誰も反対できない言葉ほど、立ち止まって、その裏でお金がどう動くかを確かめる。

表面の数字や、耳ざわりのいい言葉に振り回されず、その裏の、お金の実際の動きを、一枚ずつめくって確かめていく。経済のニュースは、この目で読むと、まったく違って見えてくる。


この文章は、経済政策をめぐる一つの見方を整理したものであり、特定の立場を「唯一の正解」として示すものではありません。積極財政の是非、その背景にある貨幣観の妥当性については、専門家のあいだでも活発な論争が続いています。ここで挙げた反論や留保もあわせて、ご自身で判断する材料にしていただければと思います。また、個別の資産運用や保険に関する記述は、一般的な構造の説明であり、特定の商品の購入・解約を勧めるものではありません。

#お金 #経済 #国の借金 #信用創造 #日本経済

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