今泉力哉の映画のような恋をしたくて
はじめに断っておきたい。私は今泉力哉監督の熱狂的な信者ではない。作品の全てを網羅しているわけでもなければ、公開日を待ちわびて劇場に駆けつけるようなタイプでもない。
だが、彼の作品には抗いがたい魅力がある。
『愛がなんだ』『街の上で』『ちひろさん』。どれも日常に地続きの、リアルな人間模様を切り取った作品ばかりだ。特に『街の上で』に登場する、着飾らない主人公と4人の個性豊かなヒロインたちとの、淡い恋の予感に満ちた空気感が好きだ。まるで伝家の宝刀である「ワンカット長回し」が、ごく自然な日常を切り取った偶然のシーンであるかのように、自分の身にもこんな出会いが起こるのではと自己投影してしまう。
今泉力哉の作品が好きな理由(セフレと恋人の境界線も見たよ)
先日、Amazon Primeで『セフレと恋人の境界線』という番組を観た。セフレと恋人の違いについて議論するリアリティショーのような構成だ。企画自体にはあまり惹かれなかったものの、脚本と監督を今泉力哉が務めていると知り、観始めたらこれが意外と面白かった。(ネタバレはしないでおこう)
この番組を観て、改めて気づかされたことがある。なぜ、これほどまでに今泉作品に惹かれるのか。それは、「今泉監督の描くような恋をしたいから」だ。もっと正確に言うなら、「こんな現実味のある恋なら、自分にもチャンスがあるかもしれない」と、本気で信じていたからだ。
今泉作品の登場人物は、劇的な成長を遂げたり、世界を変えたりしない。限られたコミュニティの中で、会話を通じて少しずつ心が揺れ、登場人物全員が主人公であるかのような群像劇を織りなす。だからこそ、「もしかしたら自分の日常にも…」と期待してしまうのだ。
しかし冷静に考えてみれば現実は違う訳で
しかし、冷静に考えてみよう。中田青渚や山下美月のような、美人で芯のある女性が、サブカルチャーや世田谷のローカルなコミュニティに、そうやすやすと降りてきてくれるだろうか?
残念ながら、タワマンに住んでいるわけでもないし、車も持っていない。夜はへそが冷えないようにパジャマのズボンをしっかり上げて寝るような私だ。おまけに中途半端に趣味も多いから、彼女に全てを捧げるなんてこともできない。もし捧げようとしても、きっとお金が足りないだろう。
そうやって頭の中でシミュレーションを繰り返すと、今泉監督の作品はまったく現実的ではないと気づく。ああ、私はまんまと騙されていた。勝手に。
それでも映画の続きがあるのではと探してしまう①
ソーシャルアパートメントへの入居を検討する編
そうわかっていながらも、私はどこかでロマンチックな恋愛を現実のものにしたいと願っている。だから、もしやと思ってソーシャルアパートメントへの入居を考えたりもする。
綺麗な社員寮のようなもので、水回りは共用。シェアハウスとは違い、部屋は完全に分かれていて、数十から百以上の住人がいるおしゃれな空間だ。でも、きっとそこでもロマンチックな恋なんて始まらない。コミュニケーション能力が高い陽キャや、自分よりはるかにハイスペックな人たちを目の当たりにして、心が折れるだけだろう。
それでも映画の続きがあるのではと探してしまう②
学大飲み歩き編
それでも、ふとした瞬間に今泉作品の光景を重ねてしまう。先日、友人と学芸大学で夜中の2時まで飲んだときがそうだ。こだわりの炭火焼に舌鼓を打ち、リーズナブルな日本酒を嗜み、たこ焼きを囲んで語り合った。最後には、その日に初めて出会った同世代の男7人くらいで、肩を組んで嵐を熱唱した。
まるで『街の上で』のような、心地よい時間だった。もちろん女性もいたが、お店でがっつくのはマナー違反だ。結局、連絡先を交換することはしなかった。いや、しなかったのではなく、連絡先を交換してもその先に進展はないだろうし、そもそも私と連絡先を交換して「次に繋げたい」と思ってくれる人はいなかっただろう。そんなシビアな現実が、脳裏をよぎったし、そう思っている時点で負けだ。
でも、実際は出会いが無くても楽しい夜だったのだから、楽しかったらOKなのかもしれない。うじうじ片隅で考えるよりもよっぽど良い。
あとがき
そんな若干ネガティブな思考に押し潰されて、行動に移せないまま、一日が過ぎていく。
ああ、今日も暑かったけれど、夏はもう去ろうとしている。まだまだ夏の気分に浸っていたい私は、はっぴいえんどの「風をあつめて」を聴きながら、これから銭湯へ向かうことにしよう。
あなたは、今泉作品の「非現実的な現実」に、どんな夢を見ていますか?
もし一緒に話せる時が来たら嬉しいです。
