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『続グッド・バイ』里心への準備

 キヌ子が去ってから一週間が経った。田島は、新しい家に一人でいた。
 家の内装は新しく、広く、静かだった。かつて彼の生活を騒々そうぞうしくいろどった愛人たちの痕跡こんせきは、闇商売でもうけた金とともにすべて清算された。田島は、これこそが自分が長年求めてきた「平凡へいぼんな生活」の始まりであり、妻子を迎え入れるための、清らかで律儀な基盤であると、自分自身に言い聞かせた。
 しかし、部屋はあまりにも静かだった。
 過去に別れた愛人たち誰もが、別れの後に心の中で未練や怒り、あるいは安堵あんど残滓ざんしを残していった。だが、キヌ子が残したのは、巨大な穴であった。彼女の鴉声からすごえも、大食いも、がさつな笑い声も、何もかもが、田島の心の壁に打ち付けられていたいかりだった。いかりは引き抜かれ、彼は空虚な海に漂っているようだった。
 田島は、妻のミチに送る手紙を書き終えた。
 『すべての懸念は消えました。私は東京で、ささやかながらも安定した生活基盤を築きました。ミチ、君と娘を迎え入れたい。もう、私たちには何の不安もありません。』
 彼は、自らの「グッド・バイ」の成功を、何よりも妻に承認してほしかった。それは、彼の律儀さと、そして平凡へいぼんな家庭への回帰を証明する、最後の儀式であった。
 手紙を投函した後、田島は一人で食事をした。一品料理、わずかな飯。贅沢ぜいたくな食事をする気分になれなかった。
 ふと、彼はキヌ子が隣にいた頃の、乱雑な食卓を思い出した。キヌ子は、一度の食事でトンカツを五枚平らげ、汚い鴉声からすごえで世間話をし、田島のケチな献立を罵倒ばとうしていた。あの煩雑はんざつさ、あの野蛮やばんさの中にこそ、自分は「生」の重みを感じ、孤独から逃れていたのではないか。
 田島は、自問自答を続けた。
 私は、キヌ子を愛したのか。いや、違う。私は、彼女の持つ圧倒的な生のエネルギーを、自分の死と虚無から逃れるための「道具」として利用しようとした。私が告白した愛は、結局、自己保身のための最後の虚栄に過ぎなかったのではないか。
 キヌ子が彼に「グッド・バイ」を告げて去ったことは、田島の自己愛と虚栄心への、キヌ子からの最も厳しく、そして最も深い罰であった。キヌ子は、彼に愛されることなく、田島が最も大切にする「律儀さ」を完遂させ、去ったのだ。
 田島は、これでミチと娘と再会できる。すべてが計画通りだ。
 しかし、彼が最終的に手に入れたものは、安寧あんねいではなく、キヌ子を失ったことによる、耐えがたいほどの静寂と、愛を告白しても拒絶された、根源的な孤独感だけであった。
【続】

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【原作】
太宰治『グッド・バイ』(新潮文庫、1972年)
【小説/画像】
Geminiで生成しました。
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