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『続グッド・バイ』破滅(四)

 トキエが床にナイフを落とし、田島の「里心」が彼を救わないという予言を投げつけてから、しばらくの沈黙がアパートの狭い部屋を満たした。田島は、この女の狂気的な純粋さが、自分の卑怯さを完全に剥き出しにしたことを悟っていた。
「そう、私は卑怯者だ。」
 田島は、吐き捨てるように言った。
「あなたの言う通り、私は生きることに倦怠している。破滅を恐れながら、愛を語ってきた。だが、私は生きるのだ。なぜなら、私には、私の卑怯さと同等の、平凡な現実があるからだ。」
 田島は、キヌ子の存在を背中に感じながら、トキエに初めて、家族の真実を告白した。
「私には、妻がいる。ミチだ。彼女は、平凡な女だ。そして、娘がいる。その娘は、白痴だ。」
 トキエの瞳が、僅かに揺らぐ。田島の口から出てきたのは、愛人たちに話すような体裁の良い美談ではなく、彼が最も隠したいはずの「平凡だが、重荷を背負った家族」という現実だった。
「私が帰るべき場所は、あなたのような破滅の美しさではない。この、平凡な家族なのだ。ここが、私の最後の砦だ。私は、この砦にしがみついて生きる義務がある。」
 田島は、自分自身の吐き気を催すほどの卑怯な本心を、この狂気的な女に承認させることで、生きるという選択を強行しようとした。
 トキエは静かに田島の言葉を聞き終えた。彼女は、田島が死ではなく「平凡な生活」を選んだことに、ある種の承認を与えた。
「あなたもまた、孤独なのね。」
 トキエは、哀れむような、しかし自分自身と重ねるような眼差しで言った。
「破滅は、瞬間的なものよ。でも、その家族の元で、生きることは、破滅よりずっと苦しいわ。あなたが、それを選ぶというなら、もう私に言うことはないわ。」
 トキエは、静かに、別れを受け入れた。その受容の仕方は、これまでのどの愛人よりも静かで、そして田島の魂をえぐり取るようであった。愛人たちは、別れの金を受け取り、涙や怒りを置いていったが、トキエは、田島に「生きる苦痛」という重い代償を残していった。
 田島は安堵した。これで、9人目のグッド・バイが成立した。彼はすぐさま懐から、生活費としていくばくかの金を机に置いた。
「これで、当面は暮らせるだろう。私が、君にできる精一杯だ。」
 トキエは金に触れず、ただ田島を、そしてキヌ子を無言で見つめていた。
 田島はキヌ子に目配せし、逃げるようにアパートを出た。
 外の光と喧騒が、田島の疲弊しきった体には眩しかった。彼は、これまでのどの別れよりも、このトキエとの別れに、精神のすべてを使い果たしたと感じた。
 路地を出た途端、キヌ子は大きな音を立てて、溜め込んでいた空気を吐き出した。
「あーあ、腹減ったわ。あんた、トンカツを奢りなさいよ。今日の昼食は、ケーキ一個で我慢したんだから。」
 キヌ子の、がさつで図太い鴉声が響き渡る。
 田島は、その鴉声を聞いた瞬間、自分が今しがた「死」の危険から逃れてきたことを実感した。そして、この醜く、図々しい女こそが、自分を現実に繋ぎ止める、最後の錨なのだと改めて確信するのだった。
【続】

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【原作】
太宰治『グッド・バイ』(新潮文庫、1972年)
【小説/画像】
Geminiで生成しました。
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